verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

死を肯定するパラダイム 末期ガン患者

「死んじゃいけない。死ぬと地獄に落ちる。」
だいたい人は、長年の経験で、その洗脳を受けている。経験が正しいとは限らない。私も、色々受けていた気がする。勉強すればするほど、そのパラダイムが、強くなる。が、徐々に臨終の観念を植え付ける。
私には、この死を否定するパラダイムが、とても窮屈なのだ。
どの宗教でも、どの人も、ほぼ、死を否定する。
疑似科学的には、宇宙空間には、内と外があると思われている。
度重なる人類史で、生に対して、その空間の中に、とてつもなくプラスが貯まっている。反対に、その空間の外に、とてつもなくマイナスが溜まっている。
それが、人を圧迫するのだ。
しかし、いつでも人は、死ねると思うと、心は安定するものだ。いつでも一瞬で、境界線を越えるからだ。やはり、長期的な生きていくことの辛さと、短期的なひとときの巨大な葛藤との、シーソーゲームだろう。
強烈な自己否定に対しては、死んで良いというパラダイムの提示が必要なのだ。末期ガン患者の、安楽死もそうなのだ。そうすると、少し自己否定が収まるのだ。

また、肉体を維持しなければならないという気持ちがあるので、どうしても革命には、否定的になる。自分が、どう思われようが構わないとまでは、いかない。
その一歩を踏み出すのが、私もとても怖いのだ。特にキチガイ扱いされるのは、仕方ないのだが、困ったものだ。どれほどの時間を用いて、否定と肯定の繰り返しで、掴んだものなのか、は想像すれば、できるはずだ。想像したくないとその自分で決めているのだ。
今急務なのは、自分という存在のアイデンティティの再構築である。
やはり、色々な知識があるので、恐怖があるのだ。常識の敷設も、大衆が決めているのだ。だから、同じなのだ。


追記 長らく戦ってる場合、死んでもいいかなと思う時がある。

死を肯定することで、救われることもある。 | shuheimakura
https://www.matthewroom.com/single-post/2016/07/12/%E6%AD%BB%E3%82%92%E8%82%AF%E5%AE%9A%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%80%81%E6%95%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

https://www.matthewroom.com/single-post/2016/07/12/%E6%AD%BB%E3%82%92%E8%82%AF%E5%AE%9A%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%80%81%E6%95%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82