死を肯定するパラダイム 末期ガン患者

「死んじゃいけない。死ぬと地獄に落ちる。」
だいたい人は、長年の経験で、その洗脳を受けている。経験が正しいとは限らない。私も、色々受けていた気がする。勉強すればするほど、そのパラダイムが、強くなる。が、徐々に臨終の観念を植え付ける。
私には、この死を否定するパラダイムが、とても窮屈なのだ。
どの宗教でも、どの人も、ほぼ、死を否定する。
疑似科学的には、宇宙空間には、内と外があると思われている。
度重なる人類史で、生に対して、その空間の中に、とてつもなくプラスが貯まっている。反対に、その空間の外に、とてつもなくマイナスが溜まっている。
それが、人を圧迫するのだ。
しかし、いつでも人は、死ねると思うと、心は安定するものだ。いつでも一瞬で、境界線を越えるからだ。やはり、長期的な生きていくことの辛さと、短期的なひとときの巨大な葛藤との、シーソーゲームだろう。
強烈な自己否定に対しては、死んで良いというパラダイムの提示が必要なのだ。末期ガン患者の、安楽死もそうなのだ。そうすると、少し自己否定が収まるのだ。

また、肉体を維持しなければならないという気持ちがあるので、どうしても革命には、否定的になる。自分が、どう思われようが構わないとまでは、いかない。
その一歩を踏み出すのが、私もとても怖いのだ。特にキチガイ扱いされるのは、仕方ないのだが、困ったものだ。どれほどの時間を用いて、否定と肯定の繰り返しで、掴んだものなのか、は想像すれば、できるはずだ。想像したくないとその自分で決めているのだ。
今急務なのは、自分という存在のアイデンティティの再構築である。
やはり、色々な知識があるので、恐怖があるのだ。常識の敷設も、大衆が決めているのだ。だから、同じなのだ。

死を肯定することで、救われることもある。 | shuheimakura
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