中庸という虚像

私は、ずっと何十年も中庸という概念の、惹かれていた。が、それも心の投影なのだ。自分が最も適したものにしたい、なりたい、見られたい、というものだ。
本人が取っていると、思い込んでいるだけだ。だいたいは、マジョリティの接点を、掴んでいるのだ。
また、自分が追求して、時間をかけたものを、否定したくない心の現れなのだ。
中庸という概念もまた、心の隙間を埋めたいだけだ。ただ、そうはならないようにできていると思っている。
私は、自分が積み重ねたものを否定するのも、悪くはないと思っている。それで気付ける事も多くある。その一歩が、物凄く怖いが、それでもその人にとって、必要だと思っている。そして、究極の実在に惹き付けられているだけだ。
認められなくて、ごめんなさい。教えてくれて、ありがとう。


意外に勘違いされ易い「中庸」の概念 - KUBUKI Project

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「中庸」はことなかれ主義?私はアリストテレス孔子の唱えた中庸... - Yahoo!知恵袋

「中庸」はことなかれ主義?私はアリストテレス... - 哲学、倫理 | Yahoo!知恵袋
なかなか秀逸な回答なのだが、プラスとマイナスの摂理が、わかれば、なお良いだろう。必ず、どこかに現れているからだ。それを見抜かない限り、その先にはいかない摂理がある。