verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

どれをどのように定義するかは、自分で決めてよい。

仮想現実と現実。あの世とこの世。
霊界と現実界
どれも、自分で最終的には、認識して良いのである。
自分が、主人公なのだ。
どの人も、どのような人生を歩んで良い。
ある意味、結構まとまりやすいかもしれない。心が、繋がっている。という事は。意識界を現実と捉えることは、、、。無意識界は、圧倒的に広いからだ。まあ、普通に考えれば、どちらが現実かは、わかるだろう。というより、どちらを現実として、置いた方が、自分のためになるかということである。それは、自分を幸福にしてくれる。
心と心が全て繋がっているから、自分が変わると、世界が変わるのである。世界が変わると、自分が変わるのである。なぜ、よく成功法則に、自分が変わらないと、他人は変えられないか、というのは、この法則があるからだ。実は、全てが整っている。整いすぎて、怖いぐらいだ。ありがたいものだ。私は、法則から究極の実在に迫った。あと少し。 色々なルートがあるのだ。それぞれの使命にあった、魂のみなしごだろうが、何だろうが。迫れることには、変わりない。
自分の顕在意識層の吐き出しが、完了すると、個人的無意識層の吐き出しが、完了すると、集合的無意識層の吐き出しが完了すると、見えるのだろう。だから、私は吐き出したい。私は、嫌気が指して、嘘をついた。いっぱい回ったのに、回った数を過小申告したのだ。そういうのがどうなるか、見てみたかったのだ。だが、やはり過小申告すると、過小申告した評価しか与えられなかった。この反省から、過小申告はしないように、過大申告もしないように、したい。
過大申告は、経歴詐称等が、そうだろう。数のごまかしは、しっぺ返しが来る。定性評価は、自分であるが、できるだけありのままを伝えたい。そして、そのありのままを認めてくれた人と共に、苦楽を共にしたいものだ。
顕在意識層というのは、脳の感覚で言えば、わりと大きめのポケットだ。このポケットよりも、多くのインプットをいれると、吐き出したくてたまらない、アウトプット衝動が起きる。が、吐き出せないと、奥にしまわれる。が、残っていることには、変わりない。ここをお掃除したあげることである。お掃除が終わると、心が軽くなる仕組みである。どうやら、思ったけど、実体化されてないものを嫌う性質があるのかと思ったが、微妙なところで、自分の良心に照らし合わせて、これは実体化させないと、惜しんではいけないと思うものを、実体化させないと、、、大変苦しくなる仕組みである。些細なことというのもあるのである。ただ、あまり些細なことだと決めつけると、体に毒なのだ。なので、すっと流れたものは、流れたものとして、みなすことである。