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どれをどのように定義するかは、自分で決めてよい。

仮想現実と現実。あの世とこの世。
霊界と現実界
どれも、自分で最終的には、認識して良いのである。
自分が、主人公なのだ。
どの人も、どのような人生を歩んで良い。
ある意味、結構まとまりやすいかもしれない。心が、繋がっている。という事は。意識界を現実と捉えることは、、、。無意識界は、圧倒的に広いからだ。まあ、普通に考えれば、どちらが現実かは、わかるだろう。というより、どちらを現実として、置いた方が、自分のためになるかということである。それは、自分を幸福にしてくれる。
心と心が全て繋がっているから、自分が変わると、世界が変わるのである。世界が変わると、自分が変わるのである。なぜ、よく成功法則に、自分が変わらないと、他人は変えられないか、というのは、この法則があるからだ。実は、全てが整っている。整いすぎて、怖いぐらいだ。ありがたいものだ。私は、法則から究極の実在に迫った。あと少し。 色々なルートがあるのだ。それぞれの使命にあった、魂のみなしごだろうが、何だろうが。迫れることには、変わりない。
自分の顕在意識層の吐き出しが、完了すると、個人的無意識層の吐き出しが、完了すると、集合的無意識層の吐き出しが完了すると、見えるのだろう。だから、私は吐き出したい。私は、嫌気が指して、嘘をついた。いっぱい回ったのに、回った数を過小申告したのだ。そういうのがどうなるか、見てみたかったのだ。だが、やはり過小申告すると、過小申告した評価しか与えられなかった。この反省から、過小申告はしないように、過大申告もしないように、したい。
過大申告は、経歴詐称等が、そうだろう。数のごまかしは、しっぺ返しが来る。定性評価は、自分であるが、できるだけありのままを伝えたい。そして、そのありのままを認めてくれた人と共に、苦楽を共にしたいものだ。
顕在意識層というのは、脳の感覚で言えば、わりと大きめのポケットだ。このポケットよりも、多くのインプットをいれると、吐き出したくてたまらない、アウトプット衝動が起きる。が、吐き出せないと、奥にしまわれる。が、残っていることには、変わりない。ここをお掃除したあげることである。お掃除が終わると、心が軽くなる仕組みである。どうやら、思ったけど、実体化されてないものを嫌う性質があるのかと思ったが、微妙なところで、自分の良心に照らし合わせて、これは実体化させないと、惜しんではいけないと思うものを、実体化させないと、、、大変苦しくなる仕組みである。些細なことというのもあるのである。ただ、あまり些細なことだと決めつけると、体に毒なのだ。なので、すっと流れたものは、流れたものとして、みなすことである。