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決断 怖い

決断が怖い。
私の姉は、23歳で死亡した。
が、私は姉の決断を、尊重したい。
それは、自分の決断を尊重したい心の裏返し
なのだ。決断した事に、後悔すると、前に進めなくなるからだ。どの決断も尊重したい。
「よくぞ、見破った。いや、見破ってないのかもしれない。」
この世は、死んでも大丈夫だということを。悩みに悩んだ私を救ってくれる視点だ。これは、おおかたの「真実」ではない。
生まれるという決断もすごいが、死ぬという決断もまたすごい
イラクでは、多くの死人が出てる。とても、残念な気持ちになる。どうして、神は、そのような所を作ったのかと、嘆きたくなる。そのような場所で、赤ちゃんを生ませたのかと。そしたら、やはり私は、世間の固定観念があることに気がついた。死ぬことは、悪いことという概念だ。だからこそ、私は、この世は死んでも大丈夫というのを、検証したい。神はいるが、自分達が思う神はいない。
私は、愛のエネルギーを、イラクの人々に送りたい。それは、効果があるからだ。私は、どっちつかずである。が、それでもいいと自分を許している。なぜなら、どちらも尊重したときに、人間は、肉体があるので、どちらかに偏るからだ。これは、ある意味仕方ない。究極の質問で、父親と母親どちらか、一人だけしか助けられない場合、どうするかというのがあるとしよう。どちらも助けたいが、どちらかに選択を迫られている。嫌なのだ。
だから私は、もう消えたいのだ。そしたら、心中になるのだろうか。心中する親子は、ある意味、愛がたくさん詰まっている。なかなか、嫌なものだ。だからこそ、私は意識体だけになれば、できると信じている。超スピードであれば、できるのではないかと思っている。いや、できなくても、構わない。こだわらない。できたら、嬉しいなぐらいである。この世の無に気付くことだ。私は、純粋フラットという行動原理がある。これは、私を一番束縛している。とても、愛おしいが、とても苦しいものだ。この世界のマスターは、とてもそのような気持ちなのだろう。だから、私は悟りたい。私は、姉のお陰で、360度死について検証することができた。マイナスの視点、プラスの視点、ありがたい。ここでも、集合無意識に、人は左右されている。ほとんどの人が、死に対して嫌なイメージだ。だから、そちら側に傾く。私は、人に視点を求めたが、今は、必要ないのだ。どれを選ぶのも、自分の心なのだという摂理があるのだ。
この世は、ギャグだということだ。