verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

決断 怖い 自殺 尊重したい

決断が怖い。
私の姉は、23歳で死亡した。
が、私は姉の決断を、尊重したい。
それは、自分の決断を尊重したい心の裏返し
なのだ。決断した事に、後悔すると、前に進めなくなるからだ。どの決断も尊重したい。
「よくぞ、見破った。いや、見破ってないのかもしれない。」
この世は、死んでも大丈夫だということを。悩みに悩んだ私を救ってくれる視点だ。これは、おおかたの「真実」ではない。
生まれるという決断もすごいが、死ぬという決断もまたすごい
イラクでは、多くの死人が出てる。とても、残念な気持ちになる。どうして、神は、そのような所を作ったのかと、嘆きたくなる。そのような場所で、赤ちゃんを生ませたのかと。そしたら、やはり私は、世間の固定観念があることに気がついた。死ぬことは、悪いことという概念だ。だからこそ、私は、この世は死んでも大丈夫というのを、検証したい。神はいるが、自分達が思う神はいない。
私は、愛のエネルギーを、イラクの人々に送りたい。それは、効果があるからだ。私は、どっちつかずである。が、それでもいいと自分を許している。なぜなら、どちらも尊重したときに、人間は、肉体があるので、どちらかに偏るからだ。これは、ある意味仕方ない。究極の質問で、父親と母親どちらか、一人だけしか助けられない場合、どうするかというのがあるとしよう。どちらも助けたいが、どちらかに選択を迫られている。嫌なのだ。
だから私は、もう消えたいのだ。そしたら、心中になるのだろうか。心中する親子は、ある意味、愛がたくさん詰まっている。なかなか、嫌なものだ。だからこそ、私は意識体だけになれば、できると信じている。超スピードであれば、できるのではないかと思っている。いや、できなくても、構わない。こだわらない。できたら、嬉しいなぐらいである。この世の無に気付くことだ。私は、純粋フラットという行動原理がある。これは、私を一番束縛している。とても、愛おしいが、とても苦しいものだ。この世界のマスターは、とてもそのような気持ちなのだろう。だから、私は悟りたい。私は、姉のお陰で、360度死について検証することができた。マイナスの視点、プラスの視点、ありがたい。ここでも、集合無意識に、人は左右されている。ほとんどの人が、死に対して嫌なイメージだ。だから、そちら側に傾く。私は、人に視点を求めたが、今は、必要ないのだ。どれを選ぶのも、自分の心なのだという摂理があるのだ。
この世は、ギャグだということだ。