下積み

下積みが足りないと、思うような結果は出ない。下積みとは、物事の微差である。当たり前だが、大学受験でも、日東駒専と、早慶上理icuの習熟度の違いというのがある。仕事でも、同じである。人生では、不確定要素が多々あるが、微差という意味合いでは変わらない。

下積み時代は必要か?下積みするより早く表に出たほうがいい理由

下積み時代は必要か?下積みするより早く表に出たほうがいい理由

下積みっていうのを、どう捉えるかの問題だろう。上の記事のミシュランを取った人は、下積みをしていたのだ。短期間で結果が出る人は、下積みをしているのだ。

私は、下積みが足りないと言われたことがある。簡単に言えば、努力が足りないのである。
また、もともとのスペックが合ってないのである。やはり、スペックが合っているところでは、活躍しやすいが、そうでないところでは、活躍しづらい。
サッカーで例えると、フォワードが、右サイドハーフをやって、活躍できるかどうかである。プロだと、当たり前だが、自分が合わなかった場合、生活の危機である。必死なのだ。
だからこそ、監督と確執があるが、監督が決めたものには逆らえない。逆らうなら、チームを変えるしかない。移籍というものがある。が、プロでは肯定される。プロ意識があれば、そのような事は、よく起こる。どうしても、西洋的なパラダイムが、合う。誰だって、選ばれたいからだ。そのパラダイムが強く作用している現場では、無論弊害も起きる。ただ、そこまではいかないケースと、チーム崩壊までいくケースがある。
やはり、東洋的なパラダイムもまた、必要なのだ。日韓ワールドカップの、日本代表も、そのような傾向があった。チームというのは、とても興味深い。この化学反応は、うまくいくのか、いかないのか、である。やはり、争いは絶えない。巨視的に見れる人が、監督であれば、いいだろう。が、監督もまた、渦中である。だからこそ、第三者組織というのは、必要なのだ。敵対する第三者組織というのは、当事者からすると、うざったいのである。現場に任せてくれと、思うものだ。が、橋本徹大阪元府知事も、選挙の結果というのは、絶対のものだと、自分で定義していたから、負けた場合は、仕方なかったとするしかないのである。忸怩たる思いがあったと推察される。が、それだけ現場の改革というのは、難しいのだ。ビジネスの分野では、社長の鶴の一声で決まる会社も多くあるが、政治という分野では、なかなかそうもいかない。安倍晋三さんだから、多くの法案が通っているのである。それだけ、地盤、看板の相対的量がある。行けるか行けないか、とても判断に迷う。沢山の人が、力を合わせていく必要がある。
なぜ、こういう記事を書くと言われるかもしれないが、書きたいから書いているのである。