verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

世の中に足りない愛情の種類

世の中に足りない愛情の種類とは、どのようなものだろうか。
考えてほしい。
見えない愛情というのも、ありがたい。
私は、自分が苦労したものよりも、相手に苦労させる愛情が、欠けているように感じられる。相手の価値を見くびっているのだ。また、人に厳しく、自分に甘いと言われたくないからだ。裏返すと、自分を守りたいからだ。
自分よりも、相手
が苦労して、上に行ってほしくない。自分のアイデンティティが脅かされるからだ。
自分の庇護のもとで、やるのがいいと思い込むことだ。
ゴータマも、五人の修行仲間と、苦行をしていた。その修行仲間も、より高みを目指したいという気持ちでやっていたはずだ。つまり、ゴータマに負けるかという気持ちがあったはずだ。そういう役割でもいいのだ。ついつい人は、自分の下で働かせたいという気持ちがある。が、そういう事だけでもないのだ。
私は、自分よりも厳しい内容を、彼に課した。付き合った、付き合ってもらった。自分よりも、相手の方が厳しい内容を課させるのは、とても勇気がいることだ。自分が強者でいる場合、強者のままでいたい。既得権益というのも、アイデンティティの裏返しである。権力も、自分のアイデンティティを脅かされたくないからだ。
立場が逆転してしまうからだ。立場が逆転されても、追い返してやるという気持ちがあるかどうか、そこまでの自信があるかどうかである。
基本的には、生存競争である。ある分野のエリートは、選び抜かれた人でもある。ただ、そういう世界が当たり前だと思っている、ここが問題なのだ。そういう世界以外もあるのだ。
話は戻るが、楽をしたいから、やっている場合とは違う。それは、見透かされる。よく三流ドラマで、高校生の先輩が後輩をパシるのは、支配欲と楽をしたいからだ。私も、人を一回だけパシらせたことがある。が、彼は、嫌だと言った。やはり、誰でもパシられるのは、嫌なのだろう。が、進んでパシられると、社会ではうまくいくケースもある。相手の支配欲にまみれたものを、利用するのである。私は、そういう世界は嫌いだった。
だいたいは、師匠と弟子や、コーチと生徒という関係性だ。だが、俳優として、役になりきればいいのである。また、お互いの信頼関係や純粋さがなければ、それは途端に崩壊してしまう。とても、難しいものなのだ。
人に厳しく、自分に甘くても良い。人に甘くて、自分に厳しくても良い。人に優しくて、自分に厳しくても良い。人に厳しくて、自分に厳しくても良い。
ということだ。資本主義では、人に厳しくて、自分に厳しいタイプが、成果を上げれるので、もてはやされる。そういうものだ。人にも厳しいのを、やりたかっただけだ。自分に甘いのと、厳しいのは、容易にコントロールできるものだ。いや、容易にコントロールしたいものだ。そのために、人は良い習慣を作っていく。企業では、任すことは、リーダーだ。任す、任されるである。任すときに、少し愛情を加えてあげるのである。