世の中に足りない愛情の種類

世の中に足りない愛情の種類とは、どのようなものだろうか。
考えてほしい。
見えない愛情というのも、ありがたい。
私は、自分が苦労したものよりも、相手に苦労させる愛情が、欠けているように感じられる。相手の価値を見くびっているのだ。また、人に厳しく、自分に甘いと言われたくないからだ。裏返すと、自分を守りたいからだ。
自分よりも、相手
が苦労して、上に行ってほしくない。自分のアイデンティティが脅かされるからだ。
自分の庇護のもとで、やるのがいいと思い込むことだ。
ゴータマも、五人の修行仲間と、苦行をしていた。その修行仲間も、より高みを目指したいという気持ちでやっていたはずだ。つまり、ゴータマに負けるかという気持ちがあったはずだ。そういう役割でもいいのだ。ついつい人は、自分の下で働かせたいという気持ちがある。が、そういう事だけでもないのだ。
私は、自分よりも厳しい内容を、彼に課した。付き合った、付き合ってもらった。自分よりも、相手の方が厳しい内容を課させるのは、とても勇気がいることだ。自分が強者でいる場合、強者のままでいたい。既得権益というのも、アイデンティティの裏返しである。権力も、自分のアイデンティティを脅かされたくないからだ。
立場が逆転してしまうからだ。立場が逆転されても、追い返してやるという気持ちがあるかどうか、そこまでの自信があるかどうかである。
基本的には、生存競争である。ある分野のエリートは、選び抜かれた人でもある。ただ、そういう世界が当たり前だと思っている、ここが問題なのだ。そういう世界以外もあるのだ。
話は戻るが、楽をしたいから、やっている場合とは違う。それは、見透かされる。よく三流ドラマで、高校生の先輩が後輩をパシるのは、支配欲と楽をしたいからだ。私も、人を一回だけパシらせたことがある。が、彼は、嫌だと言った。やはり、誰でもパシられるのは、嫌なのだろう。が、進んでパシられると、社会ではうまくいくケースもある。相手の支配欲にまみれたものを、利用するのである。私は、そういう世界は嫌いだった。
だいたいは、師匠と弟子や、コーチと生徒という関係性だ。だが、俳優として、役になりきればいいのである。また、お互いの信頼関係や純粋さがなければ、それは途端に崩壊してしまう。とても、難しいものなのだ。
人に厳しく、自分に甘くても良い。人に甘くて、自分に厳しくても良い。人に優しくて、自分に厳しくても良い。人に厳しくて、自分に厳しくても良い。
ということだ。資本主義では、人に厳しくて、自分に厳しいタイプが、成果を上げれるので、もてはやされる。そういうものだ。人にも厳しいのを、やりたかっただけだ。自分に甘いのと、厳しいのは、容易にコントロールできるものだ。いや、容易にコントロールしたいものだ。そのために、人は良い習慣を作っていく。企業では、任すことは、リーダーだ。任す、任されるである。任すときに、少し愛情を加えてあげるのである。