verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

自殺、不倫 対価を支払う

世の中に、絶対を定義しなくても良いと私は思っている。
不倫に対しては、正直あまり研究したわけではない。これだけは伝えたい。
不倫が、絶対ダメというのもない。私は、ある霊能者がそのように言っていた。が、不倫が、絶対ダメというわけではない。世の中、不倫がある。が、当たり前だが、そのマイナスの対価は、必ず払わなければならない。慰謝料だったり、目に見えないストレスだったり、、、。
霊能者は、「やっちゃいけないこと?不倫だけはダメ」と言っていたのだろう。必ず、対価を払わなければならないということだ。
ただ、それだけだ。
また、自殺が絶対ダメというのは、ない。人は死んでも大丈夫だ。という視点は、人の心を楽にする。ここも、私は伝えたい。もちろん、進んで自殺しろと擁護しているわけではない。これも、必ず対価を支払わなければならない。
たいてい、死にたい人に対して、励ましたり、楽しいことを見せびらかされても、より心が病むだけだ。
「死にたい」と負の想念を送ると、必ず肉体としては、嫌な気分になる。それが代償だ。正と負は、光と闇はどちらも素敵なのだ。ごめんなさい、ありがとう。と伝えたい。
自分の認識を、より適合したものに、することで、直ってくる。
気付くことだ。
一方の固定観念だけだと、人の心は、どうしても辛くなる。不倫が絶対悪ならば、不倫した人は、ずっと絶対悪なのか。だからこそ、この世界は、二面性を持っている。だからこそ、人は生きながら死にながらなのだろう。
自分が、これは絶対だと定義したものに対して、反対の試みを試しといい、克服しなければならないとする。そういうわけではないのだろう。
絶対は、排他性と強力な前進力をもっている。この危険性と協力性を、認識する世界が訪れて、考えてみよう。
誰だって、自分の意見を発信、相手の意見を受信している時も、気持ちは変わっている。いくら、「あの人は頭が固い」と思われていても、微妙に動いてないようでも、微妙に動いている。それが、大切なのだ。どの人にも、自分の人生を作って良い選択の法則がある。
私は、ずっと表現することを、恐れていた。過剰なまでに。自分が、ある立場に立ちたくなかったからだ。いや、ある立場に固定していると、思われたくなかったからだ。また、まだまだわからないだらけだから、表現するのは、よそうと思った。が、色々な表現を見るなかで、自分の立場が一旦固定されるのは、仕方ないことだと思った。やはり、なかなかそう簡単には、究極の実在まで、わからないからだ。ただ、それも途中でも、表現しようと思った。どの人も、その究極の実在に引き寄せられている。まだ、明確には、究極の実在は、わかっていないが、どの人も、そこに引き寄せられている。自分の中の可能性に気づくだろう。
私は、光と闇両方を認めたい。だからこそ、見映えが悪かったり、毒づいた、心が病んでいるように受け取られる記事も残しておきたい。あの時は、こういうこころの状態だったのかと。稚拙だなと、これはいいなと笑えるように。それは、世界の全てを愛するということだ。それはまた、自分の全てを愛するということと同じである。

追記
不倫って、悪い事だという感情もあるが、好きという心がある。だから、やっかいだ。悪い事だと知っていて罪を犯すのと、知らないで罪を犯すのは違いがだいぶあるようだ。
たまたま、相手が独身じゃないだけだが、子供にも悪影響を及ぼすだろう。