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自殺、不倫

世の中に、絶対を定義しなくても良いと私は思っている。
不倫に対しては、正直あまり研究したわけではない。これだけは伝えたい。
不倫が、絶対ダメというのもない。私は、ある霊能者がそのように言っていた。が、不倫が、絶対ダメというわけではない。世の中、不倫がある。が、当たり前だが、そのマイナスの対価は、必ず払わなければならない。慰謝料だったり、目に見えないストレスだったり、、、。
霊能者は、「やっちゃいけないこと?不倫だけはダメ」と言っていたのだろう。必ず、対価を払わなければならないということだ。
ただ、それだけだ。
また、自殺が絶対ダメというのは、ない。人は死んでも大丈夫だ。という視点は、人の心を楽にする。ここも、私は伝えたい。もちろん、進んで自殺しろと擁護しているわけではない。これも、必ず対価を支払わなければならない。
たいてい、死にたい人に対して、励ましたり、楽しいことを見せびらかされても、より心が病むだけだ。
「死にたい」と負の想念を送ると、必ず肉体としては、嫌な気分になる。それが代償だ。正と負は、光と闇はどちらも素敵なのだ。ごめんなさい、ありがとう。と伝えたい。
自分の認識を、より適合したものに、することで、直ってくる。
気付くことだ。
一方の固定観念だけだと、人の心は、どうしても辛くなる。不倫が絶対悪ならば、不倫した人は、ずっと絶対悪なのか。だからこそ、この世界は、二面性を持っている。だからこそ、人は生きながら死にながらなのだろう。
自分が、これは絶対だと定義したものに対して、反対の試みを試しといい、克服しなければならないとする。そういうわけではないのだろう。
絶対は、排他性と強力な前進力をもっている。この危険性と協力性を、認識する世界が訪れて、考えてみよう。
誰だって、自分の意見を発信、相手の意見を受信している時も、気持ちは変わっている。いくら、「あの人は頭が固い」と思われていても、微妙に動いてないようでも、微妙に動いている。それが、大切なのだ。どの人にも、自分の人生を作って良い選択の法則がある。
私は、ずっと表現することを、恐れていた。過剰なまでに。自分が、ある立場に立ちたくなかったからだ。いや、ある立場に固定していると、思われたくなかったからだ。また、まだまだわからないだらけだから、表現するのは、よそうと思った。が、色々な表現を見るなかで、自分の立場が一旦固定されるのは、仕方ないことだと思った。やはり、なかなかそう簡単には、究極の実在まで、わからないからだ。ただ、それも途中でも、表現しようと思った。どの人も、その究極の実在に引き寄せられている。まだ、明確には、究極の実在は、わかっていないが、どの人も、そこに引き寄せられている。自分の中の可能性に気づくだろう。
私は、光と闇両方を認めたい。だからこそ、見映えが悪かったり、毒づいた、心が病んでいるように受け取られる記事も残しておきたい。あの時は、こういうこころの状態だったのかと。稚拙だなと、これはいいなと笑えるように。それは、世界の全てを愛するということだ。それはまた、自分の全てを愛するということと同じである。