verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

究極の実在 世界の矛盾

どこまでいっても矛盾というものは、あるように見える。
また信じるか信じないかは自分という法則もある。
信じようが信じまいが、という法則もある。

自分が検証した世界と、誰かが検証した世界の矛盾、合意点、解釈の錯誤。
天国と地獄が有る世界観、天国と地獄が無い世界観。
ただ、自分がどっちを取りたいかなのだろう。私の世界観を、全面的に肯定する人もいれば、全面的に否定する人もいる。そういうものである。
紛れもない真実というのは、あるのだろうか。変わらない叡智は、あるのだろうか。
トインビーの言説のように、どこまでいっても、全貌というのは、人間にはわからないように作られているのだろう。
この矛盾を解明したと、存在の矛盾を解明したと、しても、また他の矛盾が出てくるのである、これの鼬ごっこである。
自分よりも、多くの矛盾を解明した人に、人は寄り添う傾向がある。が、その人もまた、他の人に矛盾を指摘されることがある。アインシュタインも矛盾ばかり、宗教家も、矛盾。
科学とセットにした検証も大切だ。が、科学を盾にした、自己防御というのもある。
科学的で、確率が100%に近いものしか認めないという姿勢も大事だ。有意性が認められれば、それでいいとする姿勢もある。裏付けは、何かである。データを、自分で作る場合もあるだろう。
だいぶ、私も、世の中の矛盾に、自分は時間を費やした。ある意味後悔する時もある。が、副次的な産物として、死んでも大丈夫という精神を会得したのは大きい。当たり前だが、これはとても得るのが難しい。いや、得たと思い込んでいるとも考えられる。
となると、他の事は、正直どっちでもいいような気もする。仏陀も死ぬのが怖くて、悟っていたと伝聞で聞いたことがある。悟った後に、死のうとしたらしいが、やっぱり考え直して、布教したらしい。そういうものなのかもしれない。
私は、私の世界を平和にしたい。ただ、それだけだ。「絶対」という恐さと、きらびやかさが、ある。これを、克服していきたい。

究極の意識(集合的無意識)を知ることができる唯一の方法 ②: 本条克明ライターズブログ

究極の意識(集合的無意識)を知ることができる唯一の方法 �A: 本条克明ライターズブログ

究極の実在の動きのイメージを、今3Dアニメーションで作り手を、探しています。
どなたか、いればご紹介頂くコメントが欲しいです。
やはり、神から頂いたイメージは、全てのモノのためにあるからです。
まだネット上では、無料公開している人はいなさそうなので、何方かがそれをする必要があります。なかなか難航してますが、誰かがオープンにしていく必要があるからです。
私は出し惜しみはしたくないので、公開したいのですが、少し複雑なアニメーションなので、作成に時間がかかりそうです。魂に響く内容になりそうです。魂は、愛し合いたいのです。