人間の判断基準

多くの判断基準を、人は持っている。
一番大きい判断基準は、生きるか死ぬかである。私は、二年余りも長く間、どちらとも言えない状態で、右往左往していた。そのお陰で、これが一番大きい判断基準である事に気がついた。 生きたいから、生活がある。生活があるから、張りが出る。
誰でも、鬱病にかかったことがない人は、生きるという判断基準で、動いている。生きるというのは、自己防衛が働く。死ぬというのは、精神的もしくは、肉体的自傷行為が続く。
生きると決めれば、楽になれるのに、なかなか決めなかった。
死ぬと決めれば、どんどん深みにはまっていった。だから、生きるという判断基準を持つから、人は自己防衛して、自己責任になる。堕ちるところまでいくと、人は反転する。死ぬところまで行く人もいる。私は、地獄の怖さを知った。
生きると決めた。そうすると、楽になった。いや、まだどちらの想念もある。
そのパラダイムが、一番自分の人生を決定付ける。神を信じるか、信じないかのパラダイムより、強く作用するのかもしれない。
私は、27歳で有神論者になった。それまで、検証ばかりで、100%は信じられなかった。だが、信じた。そうすると、そのパラダイムで、人生が動いていくのを気付いた。そうやって、人間はパラダイムを作って、動いている。パラダイムに気付くには、一度捨てなければ、気づけない。捨てる勇気もあれば、拾う勇気もある。
「生きたい」というパラダイムは、人生にあっていい事に気が付いた。他の執着を捨てれば良い。人生なのだから、「生きたい」は、あっていい。細胞は生きたがっている。アルコールに執着するのと、生きたいに、執着するのは、違う。ただ、「生きたい」に固執すると、見えない世界もあるということだ。
私は、生きていることを許そうと思う。「生きたい」と思っていい。

自分の判断基準が絶対正しい。人間の判断基準は絶対正しい。 | HITOTSU学大好き!zakkyのブログ

自分の判断基準が絶対正しい。人間の判断基準は絶対正しい。|HITOTSU学大好き!zakkyのブログ