会社じゃないと

会社じゃないと人は、なかなか厳しくできない。誰だって、関係性を考えるからだ。
「会社では、こうあるべき」と当為論で、強い価値観を形成して、行う。
「必ず、こうしなければならない」これが、社会を成り立たせている。
当たり前だが、コンビニでレジに行ったのに、コンビニ店員の判断で売らない、ということはない。コンビニ店員も、「こいつに売りたくないな、めんどいな」と思っても、レジ打ちはする。たとえ、笑顔はなくても。ここに、「必ず、こうしなければならない」がある。ただ、人には大自由な心があるから、本当は逆の事もしたいのである。それが、溜まると、鬱憤がたまり、鬱積して、鬱になるのである。それを、どこかで解消する必要がある。
ただ、この当たり前がないと、社会が成り立たない。当たり前で、社会は成り立っている。携帯電話も、電話をかけれる。その代わりお金をいただく。という当たり前がある。人間は、この当たり前を、子供の時から、獲得していく。そして、当たり前が通用するときは、獲得した当たり前で生きていく。
会社は、決まりが多い。絶対こうしなければならないというものがある。これは、断れないことを意味する。ストレスがたまる。いや、断ったら、会社が成り立たない。倒産が沢山増えるだろう。本末転倒かもしれない。断りたいという気持ちを押し隠して社畜として働くか。気持ち自体が起きないように、ロボットとして働くかどちらかだ。私は、どちらも良いと思う。人間は、労働ロボットである。そうやって、創った人間と社会を、乗っとる気でいる。弱者に、よりストレスを押し付ける社会である。この世は、弱肉強食だから、仕方ない。そろそろ、従来の人間というのは、必要ない時代になってくるのだろう。