なぜ意見がコロコロ変わるのか。 多重人格

多重人格のメリット、デメリットがある。
多重人格的能力のメリットとしては、主人格の意識をほんの一ミリ程度にして、他の人格の能力が使えることだ。主人格は運転が下手でも、他の人格が入れば、プロのような運転が出来る。主人格意識を全部落として、勝手に喋るのは、まだ会得してない。他の人格に話させても、かすかに意識はあるからだ。この人格というのは、便宜上だ。これを霊媒という人もいる。試験を、全部他人格がやった場合の合否は、どうなるのだろうか。基本的に同じ肉体なら、同じ人というのが、通例だから、合格は合格であると思われる。
昔の私のイメージを持っている人にとっては、主人格であたる方が、都合が良い。だから、自我はなくなるわけではない。相手が認めてくれた場合は、この主人格以外の能力を使える。ただ、タイミングはこちらで指定するのは無理である。というより、ベストなタイミングで、他人格が現れる。現れたことに気づかない場合も多い。

私は、なぜか色々コロコロ言うことが変わる。それは、周囲の人の、視点転移を促し、悟りを深めて貰うためである。
ただ、そんなこと言うと、人に反発されるから、言わない。主人格はある。が、他の人格に譲るべきときは、譲る。周囲に対して、悟りのベストな状況を作るために、行っている。
激怒する人格。丁寧な愛で接する人格。色々な自分がいる。
更に言えば、私は脳で意識して、そういう事をしてるわけじゃない。自分でコントロールしているわけじゃない。魂がコロコロ変わっているだけだ。ビリーミリガンさんのような多重人格である。
普通は、人は、「あの人はこうだ」「この人はこうだ」と様々な人に接する中で、悟りの視点を獲得していく。個人は、その個人の意識した想念帯に貯まったものに、アクセスしてるだけだ。脳で、自我の想然帯にアクセスしてるから、同じ結果が出る。これを外してみた。
身嗜みに関して、髪型を整えない自分でもいいということを伝えたいだけだ。正直、身嗜みを整えたほうが、当たり前に好かれる。だが、この世に絶対はない。だから、整えている自分であっても、整えてない他人であってもいい。だから、整えている人は、整えていない人を批判するのではなく、整えない視点を獲得して、整えてない人を内包した言い方をしてほしいだけだ。それで、世界の負の連鎖が、一つ減るだけだ。
思春期は、よく整えていた。異性を意識してたからだろう。ただ、整えなくなった。そんな状況じゃなく、もっと大事なことがあったからだ。ただ、これからは、整えていこうと思う。整えてない人に対して、「あー、俺もそういう時期あった」と伝えたいからだ。「整えなきゃ」だけではない。整えている自分を認めたい、整えているのが好きなだけだ。そういう謙虚さが必要だ。


多重人格にみられる人格のタイプと傾向の分類
http://www.geocities.jp/new_psych/jinkaku.htm

多重人格にみられる人格のタイプと傾向の分類


RAPT | 悪魔崇拝者たちの多くが多重人格者であり、幼少期から虐待を受けてきたという現実。
http://rapt-neo.com/?p=19219

RAPT | 悪魔崇拝者たちの多くが多重人格者であり、幼少期から虐待を受けてきたという現実。

ラプトさんの、記事。今まで、様々な記事を見てきたが、どれも私には、あまりしっくりこなかった。
が、この記事は、あながち間違いではなさそうだ。 教皇が、虐待をしているという事実は、私にはわからない。
が、多重人格を作り上げるには、精神虐待や性的虐待というのは、真相だろう。
私は、幼い頃から、家庭で精神的虐待を受けたので、多重人格が発生した。
私は、色々な能力が使えるようには、と探っていたが、やはり多重人格になるしかないのである。他の人の能力を使えば良いという、事業家精神も大事だ。
原理を知って、悪用している連中というのは、どの時代にもいる。ただ、裁きは行われるはずだ。恐らく、その法則を掻い潜ろうと画策しているのだろう。ある一定までは、掻い潜ることができているから、続けられるのだろう。人間は、人間を虐めることは、造作ない。まして、悪魔と一体となった人は、虫けらのように、人を扱うだろう。