先を越される 結婚 先も後もない時間論

先を越されると、気分が悪くなる。姉が、結婚式のアルバムを祖母に送った。その時、この負の感情が発生した。こんな些細なことにも人は感じる。突き詰めると、自分も送りたい、自分のアイデンティティが脅かされるからである。何か見せつけられている気分になる。祖母と何かをしたいという気持ちが、更に深くあることに気付く。自分なりのやり方で、やれはいい。ごめんね、気付かなくて、と言えば良い。念を送るだけでも良いのである。この「先を越された」というマイナスの感情の時ほど、ごめんね、おめでとうと、言う気持ちが自分を大切にする。これができない人がほとんどである。対決意識がある、それをどう活かすかでもある。反抗しても良いし、同じことをしても良い。
ただ、何事も先が良いとも限らない。
結婚も、晩婚が悪いわけではない。
先に行こうとするのは、優越感の現れだろう。先にいくリーダーだけがいいわけではない。自分のポジションに合ったことをすればいい。 時間は、本来はないと思われる、まだはっきりと説明はできないので、申し訳ない。この時間という固定点に人は、左右されまくって、自分を苦しめている。脳で、当たり前の事実として、時間があると、錯覚している。
後でも先でも、なくても、どちらでも構わない。これが、心の安寧と、平和に繋がる。やはり、アイデンティティの危機が、たびたび、自分を苦しめる。だからこそ、自分の考えを、ごめんね、ありがとうに、変えるのである。
私は、自殺した人が好きである。その方が、まともである。この世に対する矛盾に絶望した純粋な人、と捉えることができる。その絶望を感じられなくて、ごめんなさい。誰よりも、純粋だと絶望も、また起きやすい。それの繰り返しとも言える。人間にとって、このアイデンティティの危機の時に、ごめんねとありがとう。で良いのである。
相手と自分を、違う存在と認識するからである。同じ心で繋がっていると、体感する機会は愛おしい。立場によって変わるだけである。痛め付けられるだけということは、ありえない。だからこそ、人は手を取り合うチャンスは、どこでも散らばっている。取るか取らないかは、あなた次第である。「有」も「無」のパラダイムも、どちらも転移して、取れるのが、気楽な生き方だろう。有ばかりだと、「やらなきゃやらなきゃになり、

www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/wakaki/contents/085.html
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では、この手の研究テーマに関して、先を越されるとどうだろうか。当たり前だが、先を越されるのは気分が悪い。
自分が発した言葉は、自分に向かって話しているだけである。この巧妙なヒヤリハットがある。