verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

先を越される 結婚 先も後もない時間論

先を越されると、気分が悪くなる。姉が、結婚式のアルバムを祖母に送った。その時、この負の感情が発生した。こんな些細なことにも人は感じる。突き詰めると、自分も送りたい、自分のアイデンティティが脅かされるからである。何か見せつけられている気分になる。祖母と何かをしたいという気持ちが、更に深くあることに気付く。自分なりのやり方で、やれはいい。ごめんね、気付かなくて、と言えば良い。念を送るだけでも良いのである。この「先を越された」というマイナスの感情の時ほど、ごめんね、おめでとうと、言う気持ちが自分を大切にする。これができない人がほとんどである。対決意識がある、それをどう活かすかでもある。反抗しても良いし、同じことをしても良い。
ただ、何事も先が良いとも限らない。
結婚も、晩婚が悪いわけではない。
先に行こうとするのは、優越感の現れだろう。先にいくリーダーだけがいいわけではない。自分のポジションに合ったことをすればいい。 時間は、本来はないと思われる、まだはっきりと説明はできないので、申し訳ない。この時間という固定点に人は、左右されまくって、自分を苦しめている。脳で、当たり前の事実として、時間があると、錯覚している。
後でも先でも、なくても、どちらでも構わない。これが、心の安寧と、平和に繋がる。やはり、アイデンティティの危機が、たびたび、自分を苦しめる。だからこそ、自分の考えを、ごめんね、ありがとうに、変えるのである。
私は、自殺した人が好きである。その方が、まともである。この世に対する矛盾に絶望した純粋な人、と捉えることができる。その絶望を感じられなくて、ごめんなさい。誰よりも、純粋だと絶望も、また起きやすい。それの繰り返しとも言える。人間にとって、このアイデンティティの危機の時に、ごめんねとありがとう。で良いのである。
相手と自分を、違う存在と認識するからである。同じ心で繋がっていると、体感する機会は愛おしい。立場によって変わるだけである。痛め付けられるだけということは、ありえない。だからこそ、人は手を取り合うチャンスは、どこでも散らばっている。取るか取らないかは、あなた次第である。「有」も「無」のパラダイムも、どちらも転移して、取れるのが、気楽な生き方だろう。有ばかりだと、「やらなきゃやらなきゃになり、

www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/wakaki/contents/085.html
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では、この手の研究テーマに関して、先を越されるとどうだろうか。当たり前だが、先を越されるのは気分が悪い。
自分が発した言葉は、自分に向かって話しているだけである。この巧妙なヒヤリハットがある。