verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

自殺について 謎 どうなる? この世は、ギャクばかり 死後

自殺って、何だろう。
ずっと10年ぐらい、考えてきた。
自殺は、殺人と同じくらい、自分を痛めるものだ。ただ、そこまで自分を痛め付けるのには、理由がある。頭と心にネガティブな思念が満載になる。
だが、実は、極論的言い方だと、人は死んでもいい。その恐怖の対価を払えばいい。ただ、天命が尽きるまで、人は死なないようになっている。死のうとしても、死にきれない。
寿命は、当の本人にはわからないようになっている。ほんのわずかな人は、知っているようだが、未確認である。
私は、死ねない。死ねば良いと思ってたけど、そうもいかない。死に行く人に愛のエネルギーを。臆病者に、愛のエネルギーを送る。余命○○で、死ぬ前提で生きていた。生き延びると、困った。次どうしようとなる。いつでも死ねる権利は、人間にはないと気づいた。生き続けるという前提で、物事に取り組むしかない。自殺する人はする、しない人はしない。引き返した人も、その悪い考えの後遺症を何とか解消する必要がある。自殺未遂でも、何かしら得るものはある。
引き返すか、そのまま突っ切るかは、本人次第である。私は引き返した。私は、臆病者だったが、勇者だった。確かに、もっと臆病者なら、精神病にならないように、注意して、生きるだろう。ならないように注意していれば、ならない可能性は、非常に高い。というより、ならない人はならない。精神病になるのも、また哀愁漂う人生である。
いつ死んでも良いから、繋がりを消す努力もあれば、繋がりを作る努力もある。ただ、自分の中の想念帯が、若干プラスになれば、生きたいと思う。私は、明日死んでも良いが、来年でも、50年後でも良い。これが、無の境地なのかもしれない。
50年後だと、少し嫌な気持ちになるなら、少し未来への意識を増やしてみよう。楽しくなると、生きたくなる。辛くなると、死にたくなる。これを調整して、間にいつづけようと決意した。
いつ死んでも良いを笑顔で本気で言えるようになろう。


追記
自殺が最善手に見える時がある。この世に、憤慨して、自殺したほうがいいと思う時もあるのだ。自殺は謎だ。どんな人も
100%地獄にいくわけでもないだろう。

自殺したら、人はどこへ行くのか【霊的世界のほんとうの話】 | 幸福の科学 HAPPY SCIENCE 公式サイト


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これも、確かに100%ではないだろう。澄みきった心というのは、大切だ。