夢のサポートの限界について考えてみた。夢のサポートをどこまでするべきなのか考えてみた。夢が、友達が沢山欲しいだとする。が、友達がなかなかできないとする。では、なぜどのようにしたら、友達が作れるのか指南する。実際に友達を作る。この結果まで責任を負うのが、ビジネスだろう。ボランティアでは、その結果までの責任を負わないだろう。ボランティアでは、結果まで、責任を負えない。
一方、好き勝手やってて独立はできない。独立支援する方も、独立希望者が好き勝手やってては、支援のしようがない。仏の顔も三度までである。お釈迦様も、悟らせられない人はいないと言っていたとされるが、言うことを聞かない人は、悟らせられないとも、言っていたとする。人の責任分担があるのだろう。お釈迦様でも、悟らせられないのをどうして、人が悟らせられようか。
長い期間を待つしかない。時間がかかると肝に命じることである。人は、なかなか悟らないのである。それでも、少しは努力しようではないか。
悟りをビジネスにしようと思ったが、なかなかそうはいかない。一つ一つやっていくしかないのである。急に人は成長しない。多くの年月と教育により、一人前になっていくのである。
素直な人は、伸びる。お釈迦様も言っている。では、自分が素直な人になっているだろうか?素直な人は、素直な人を引き寄せる。素直というのは、とても大切なことである。忘れてしまいがちである。頑固と素直は、紙一重かもしれない。
ある友人が、ビザが欲しいと言っていた。ビザ取得まで、サポートするビジネス団体は存在する。お金を払えば、いいのである。お金を得れば、叶うことである。そのビザ取得までの道中を楽しむのが、人間である。ただ、お金を払わない、労力も払わないクレクレ君では、叶わない仕組みになっている。何かを差し出せば叶う。あくまで、何かである。何かでいいのである、感謝でもいいのである。そもそも、本当にその夢を実現したいのだろうか?という視点も大事である。夢がでかければでかいほど、代償も大きくなる。代償=お金(労力) の場合が多い。目に見えて、わかりやすいのである。お金集めればいいのである。10万、50万500万5000万、、、という具合の努力である。
結果に対する責任は、やはり金額に比例するのである。10万円の講座と、50万円の講座と、500万円の講座は違う。
夢なんて、もたなくていいという視点も大切である。誇大夢想という言葉もある。そんなに夢を叶えなくても、人は幸せになれるように、なっているのである。仕事終わりの、ビール一杯がありがたかったりする。それで、十分なのである。
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