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自分の話を信じてもらえない 人工地震

自分の話を信じてもらえないのは、どうすればいいのだろうか。
相手と自分というのは、もともと位置が違う。分かりやすく言えば、タイミングがある。それは、必要な時期に、必要な事が起こるためである。
信じてもらえないのは当たり前なのである。信じてもらえると思う方が可笑しいのである。わかるべき人が、わかるべきタイミングでわかればいいのである。
長年、母親に情報提供しててわかった事がある。やはり、息子の話は信じないのが親なのである。信じる親は、ほんとに稀である。①誰かの権威を使う、見せる。が一番なのである。
受け入れたくない頭のガードがあるのである。何をいっても無駄である。信じてもらえるか、もらえないかは、二の次なのである。それよりも、何を親子で取り組んでいかないといけないのか、である。私の場合は、①感謝②共同生活③相手に意識を向ける

自分の興味があることばかり、探求してきた。家事そっちのけである。探求していくと、ある時点で飽和的感情になる。今は、そのような状態になった。そのような未来が来ると、どうでもいいんだなと思う。ほどほどに探求するほうがいいんじゃないと思う。
すればするほど、真相に迫れるが、その先も広がっているものだ。歴史や科学の研究も、そうだろう。どんどん新たな発見がある。ある時、飽和状態になる。区切りである。じゃあ、いつか飽和状態になるなら、そんな探求しなくていいやん?という発想もあるんだなと実感した。そんなに、その探求が有意義だったかは、わからない。気持ちの問題である。知的好奇心、これも爆発しすぎないのも大事だと思う。
終わってみたら、たいしたことない。わかっていたら、しなかったかもしれない。でも、恐らくしていたんだと思う。「たいしたことないよ。その先にあるのは、宝じゃないよ、瓦礫だよ。」と昔の自分に伝えたいかもしれない。極論すれば、何事もいつかは崖に落ちる。人は、死ぬからである。死んだときには、財産や名誉は持っていけない。野球選手も芸能人も、ある時崖に落ちる。人生崖落ちの法則である。崖に落ちても、次に進むかどうかである。必ず、崖に落ちるのである。どんな成功者も例外ないのである。あー、このルートで、この視野しか持ってなかったんだと。それでも、人間である以上、特性がある。
だから、全方位の視野なんてのは、でけへんのである。道中の人は、耳が聴かん。崖に落ちることがわかってても、その道を通るのが、人生である。それを、途中途中どう思うかである。どう思おうが、元々決めてきたものには、逆らえないのである。誰だって崖に落ちるのがわかっていたら、やらないのである。どんな人も例外なく、人生で崖に落ちるのである。その事を知ったら、あまり羨まないで済むのではないかと、憎むこともないのではないかと。平等な世界に感謝。もともと世界は純粋フラットなのである。それを個人の認識で、どのような視点で解釈するかである。