verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

自分の話を信じてもらえない 人工地震

自分の話を信じてもらえないのは、どうすればいいのだろうか。
相手と自分というのは、もともと位置が違う。分かりやすく言えば、タイミングがある。それは、必要な時期に、必要な事が起こるためである。
信じてもらえないのは当たり前なのである。信じてもらえると思う方が可笑しいのである。わかるべき人が、わかるべきタイミングでわかればいいのである。
長年、母親に情報提供しててわかった事がある。やはり、息子の話は信じないのが親なのである。信じる親は、ほんとに稀である。①誰かの権威を使う、見せる。が一番なのである。
受け入れたくない頭のガードがあるのである。何をいっても無駄である。信じてもらえるか、もらえないかは、二の次なのである。それよりも、何を親子で取り組んでいかないといけないのか、である。私の場合は、①感謝②共同生活③相手に意識を向ける

自分の興味があることばかり、探求してきた。家事そっちのけである。探求していくと、ある時点で飽和的感情になる。今は、そのような状態になった。そのような未来が来ると、どうでもいいんだなと思う。ほどほどに探求するほうがいいんじゃないと思う。
すればするほど、真相に迫れるが、その先も広がっているものだ。歴史や科学の研究も、そうだろう。どんどん新たな発見がある。ある時、飽和状態になる。区切りである。じゃあ、いつか飽和状態になるなら、そんな探求しなくていいやん?という発想もあるんだなと実感した。そんなに、その探求が有意義だったかは、わからない。気持ちの問題である。知的好奇心、これも爆発しすぎないのも大事だと思う。
終わってみたら、たいしたことない。わかっていたら、しなかったかもしれない。でも、恐らくしていたんだと思う。「たいしたことないよ。その先にあるのは、宝じゃないよ、瓦礫だよ。」と昔の自分に伝えたいかもしれない。極論すれば、何事もいつかは崖に落ちる。人は、死ぬからである。死んだときには、財産や名誉は持っていけない。野球選手も芸能人も、ある時崖に落ちる。人生崖落ちの法則である。崖に落ちても、次に進むかどうかである。必ず、崖に落ちるのである。どんな成功者も例外ないのである。あー、このルートで、この視野しか持ってなかったんだと。それでも、人間である以上、特性がある。
だから、全方位の視野なんてのは、でけへんのである。道中の人は、耳が聴かん。崖に落ちることがわかってても、その道を通るのが、人生である。それを、途中途中どう思うかである。どう思おうが、元々決めてきたものには、逆らえないのである。誰だって崖に落ちるのがわかっていたら、やらないのである。どんな人も例外なく、人生で崖に落ちるのである。その事を知ったら、あまり羨まないで済むのではないかと、憎むこともないのではないかと。平等な世界に感謝。もともと世界は純粋フラットなのである。それを個人の認識で、どのような視点で解釈するかである。