合格の一瞬の喜びか、半永久の喜びか

何事も、合格すると嬉しい。
合格というのは、大きな一瞬の喜びである。困難なものを達成した喜びもいいものだ。転職で、給料が大幅アップしたのも嬉しい過去だ。
ただ、三日もすれば、忘れてしまうものである。ただ、半永久の喜びというものがある。
それは、日常生活に喜びを見いだす事である。日常生活は、死ぬまで半永久である。私の母は、呆れるぐらいずっと英語を勉強している、本当にずっとである。それが好きなのである。
どちらが良いか? とよく考えて欲しい。私も、一瞬の大きな喜びばかり追い求めていた気がする。よくよく考えると、結構アホ臭いものである。半永久の喜びに勝るものはない。というより、半永久の喜びも感じる術を身に付けろということである。私は、大学受験では、第一志望不合格だったが、大学では、それなりに喜びの見いだし方を模索した。よくよく考えてみると、半永久に幸せを感じられるほうがいいのではないか、3年に一度の喜びだけでは、ちと面白くないのではないか。結局、半永久に喜びつつ、9年に一度の喜びもあればいいなと思うようになった。勉強も仕事も、何でも今喜びを見いだせればいいのではないか。確かに器を広げるために、嫌だとそのとき思う勉強や仕事もある。必要なのである、避けて通れないのである。
それだって、喜びを見いだせる。感謝である。絶えず感謝してれば、幸せなのである。テレビでバカ笑いできるのも感謝なのである、先人が創ってくれたおかげなのである。私は、15年ぐらいアホだった気がする。これからは、少しマシかなと思う。
テレビはアホになる機械かという議論がある。色んな説がある。テレビは、魂が濁るという自己啓発本著者の早川勝さんもいた。当時、あ、かっこいいなと思った。3年ぐらい取り組んでみた。あー、こういうことか、ということがわかった。
でも、久しぶりにさんまさんのお笑い番組を見て、笑った。あー、こういうことかとわかった。テレビがある生活もありがたい。テレビがない生活もありがたい。あなたなら、どうするかなのである。どちらも楽しめたら幸せではないだろうか。私は大のテレビっ子だった。でも、成長している感じがしなかった、惰性で見てた。だから、止めたという理由もあるだろう。どう心で受け止めるかである。宗教も、どうその時その状況で思うかなのである。その時々に、神を感じるかどうかである。感動を神と表わすのが宗教で、表さないのが無宗教であり、表現なのである。日々の感動の出来事を神が働いたという視点では、それが続くのである。逆に、無宗教では、単純に感動したーという視点もあるのである。
神は、あくまで神なのである。神がいないかいるかは、論じる時代では、もはやないだろう。どう一緒にやるかである。
宗教に入ろうが、入りまいが、いいのである。あくまで、自分の物語なのである。


子どものためのソーシャルスキルトレーニング 「君ならどうする」 基本キット

子どものためのソーシャルスキルトレーニング 「君ならどうする」 基本キット