verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

合格の一瞬の喜びか、半永久の喜びか

何事も、合格すると嬉しい。
合格というのは、大きな一瞬の喜びである。困難なものを達成した喜びもいいものだ。転職で、給料が大幅アップしたのも嬉しい過去だ。
ただ、三日もすれば、忘れてしまうものである。ただ、半永久の喜びというものがある。
それは、日常生活に喜びを見いだす事である。日常生活は、死ぬまで半永久である。私の母は、呆れるぐらいずっと英語を勉強している、本当にずっとである。それが好きなのである。
どちらが良いか? とよく考えて欲しい。私も、一瞬の大きな喜びばかり追い求めていた気がする。よくよく考えると、結構アホ臭いものである。半永久の喜びに勝るものはない。というより、半永久の喜びも感じる術を身に付けろということである。私は、大学受験では、第一志望不合格だったが、大学では、それなりに喜びの見いだし方を模索した。よくよく考えてみると、半永久に幸せを感じられるほうがいいのではないか、3年に一度の喜びだけでは、ちと面白くないのではないか。結局、半永久に喜びつつ、9年に一度の喜びもあればいいなと思うようになった。勉強も仕事も、何でも今喜びを見いだせればいいのではないか。確かに器を広げるために、嫌だとそのとき思う勉強や仕事もある。必要なのである、避けて通れないのである。
それだって、喜びを見いだせる。感謝である。絶えず感謝してれば、幸せなのである。テレビでバカ笑いできるのも感謝なのである、先人が創ってくれたおかげなのである。私は、15年ぐらいアホだった気がする。これからは、少しマシかなと思う。
テレビはアホになる機械かという議論がある。色んな説がある。テレビは、魂が濁るという自己啓発本著者の早川勝さんもいた。当時、あ、かっこいいなと思った。3年ぐらい取り組んでみた。あー、こういうことか、ということがわかった。
でも、久しぶりにさんまさんのお笑い番組を見て、笑った。あー、こういうことかとわかった。テレビがある生活もありがたい。テレビがない生活もありがたい。あなたなら、どうするかなのである。どちらも楽しめたら幸せではないだろうか。私は大のテレビっ子だった。でも、成長している感じがしなかった、惰性で見てた。だから、止めたという理由もあるだろう。どう心で受け止めるかである。宗教も、どうその時その状況で思うかなのである。その時々に、神を感じるかどうかである。感動を神と表わすのが宗教で、表さないのが無宗教であり、表現なのである。日々の感動の出来事を神が働いたという視点では、それが続くのである。逆に、無宗教では、単純に感動したーという視点もあるのである。
神は、あくまで神なのである。神がいないかいるかは、論じる時代では、もはやないだろう。どう一緒にやるかである。
宗教に入ろうが、入りまいが、いいのである。あくまで、自分の物語なのである。


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