verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

責任論 人への全責任

人が背負うべき、人への全責任って、どれくらいなんだろうか。人への全責任を負うという気持ちで、ある人をサポートしてた。
生涯ずっとサポートするのが、極限の誠意なのかと思っていた。そんなことは、神や指導霊しかできないのではないか。神や指導霊も変わる、現実的ではない。
また、いるべき場は、変わっていくというものがある。その人が、一番活躍する場である。
また、長い人生、縁が切れる事もある。会えなくなり、遠距離になった時に、メールや電話でサポートすれば良いのか。それもできなくなった時は、どうすればいいのか。祈りなのか。祈りというのは一定の効果があるが、それで責任を果たしているのだろうか。祈りも直接指導も、同レベルにすることはできると思われる。祈りの効果は、自分に対してなら実感しやすいが、人の対してだと、実感しづらい。
縁が切れたら、そこまでなのか。恐らく、そこまでだとするのが中庸のラインだろう。ご縁が切れるまで、サポートしますが、期間への責任なんだろう。

たまたま一緒にいるときに、やる事があるというのが責任なのか。家族と同じくらい、家族以上にサポートすることが責任なのだろうか。家族というのは、法的に責任を負っている。

人に対して、重大な責任を背負うというのは、できるだろう。
責任って、何だ。何を負うことなのか。これは、かなり難しい。
一応専門学校は、専門技術を習得させる
のが責任だろう。ある一定のレベルまで技術を習得させるので、授業料等を納めてくださいというものである。生徒も、授業に行かないなら、その技術を教わる責任を果たしていないのであり、よって学校側は、技術提供できない
ので、基本的責任はそこまでだろう。
つまひ、責任というのは、有限であることがわかるし、その主体で変わる。

サポート内容
・衣食住の提供
・活動の提供、サポート
・人付き合いのサポート
・夢実現へのサポート
・カルマの解消
・雑多な課題へのサポート
・活動への対価、必要最低限のお金の援助

次の活躍の場まで、導くことなのか。
全責任。それは、宇宙の法則しか、背負えないんじゃないだろうか。
ちょっと考え直したい。どこまで人は、人に責任を負うのが、筋なのだろうか。いや、どこまで背負うべきものだろうか。
婚姻制度もあるが、幸せにし続ける保証はない。 教育の責任とは、どこまでが理想の中庸なのだろうか。その都度変わるという一般論なのか。私は、何か大きな勘違いをしていた気がする。勿論故意ではなくて、先生が、真実とかけ離れた教科書の内容を教えたとする。あとで発覚する、もしくは闇の中。でも、それもよくあることだ。知識の正確性というものはあるが、それは枝葉な部分である。
道徳的なものだろうか。生き方なのだろうか。ちょっと考えると、教育というのは、責任はないというか、とれないというのが、本質ではないだろうか。愛情のエネルギーなのか、確かにこれは取れるかもしれない。教育の本質は、誰にもわからないというのが、真実なのではないか。死後の世界なんて、諸説あるし、真実はわからない。

この世のあらゆる真理や真実を知って、導ける人はいないから。
確かに、多くの勉強をすると、大枠は固まってくる。人間をどのように導いたら良いのか、感覚的にわかってくる。
勉強度合いによって、変わってくる。悟り度が高い人と低い人はいる。最高の教育者とは、何なのか。私は、会ってみたい。自分なのではないだろうか。最も自分を教育できるのは、自分なのである。そういった意志と努力があればだが。 やはり、宇宙法則自体が、最高の指導者なのだろう。ここから、逃れられる人は誰もいない。逃れたと思っても、それは勘違いである。瞑想しかり、儀式しかり。
この世界を、マトリックスのような世界と論ずる人もいるかもしれない。だが折角の最高の指導者を、そのように断じては、もったいないのではないだろうか。
いささか傲慢なのではないだろうか。
それだったら、その最高の指導者の基で、自分を成長させたほうが、いいのではないだろうか。無論、世間的な縛りから、自由になるというのは、できることであるだろう、タックスヘブンというのもある。どんなお金持ちだろうが、なんだろうが、全ての宇宙法則から、離れるというのは、できないだろう。お金持ちほど、宇宙法則を利用しているものだ。宇宙法則を味方につけて、打ち勝っていくのが、自然な姿である。無知がある分、人を導く力が弱い。なので、勉強し続けることは、必要である。

今回の考察でわかったことは、人の真剣で中庸な責任は、
①時期= ご縁が切れるまで、または一定期間
②内容=様々。

である。

次は、責任は、遡及できるのかどうか。
これは、個人的感覚では、遡及できないだろう。もう、起こったことなのである。つまり、例えば受験に合格させると塾側が言ったとしても、不合格の場合に、責任遡及されるのかというと、されない。いくら、多額の授業料を納めたとしても、それは提示された事に、契約したということだ。授業をしてないという場合なら、当然責任問題である。
また、霊界の勉強をしていると、あまり遡及問題をする必要はないことがわかる。必要なことしか起きないからである。