責任論 人への全責任

人が背負うべき、人への全責任って、どれくらいなんだろうか。人への全責任を負うという気持ちで、ある人をサポートしてた。
生涯ずっとサポートするのが、極限の誠意なのかと思っていた。そんなことは、神や指導霊しかできないのではないか。神や指導霊も変わる、現実的ではない。
また、いるべき場は、変わっていくというものがある。その人が、一番活躍する場である。
また、長い人生、縁が切れる事もある。会えなくなり、遠距離になった時に、メールや電話でサポートすれば良いのか。それもできなくなった時は、どうすればいいのか。祈りなのか。祈りというのは一定の効果があるが、それで責任を果たしているのだろうか。祈りも直接指導も、同レベルにすることはできると思われる。祈りの効果は、自分に対してなら実感しやすいが、人の対してだと、実感しづらい。
縁が切れたら、そこまでなのか。恐らく、そこまでだとするのが中庸のラインだろう。ご縁が切れるまで、サポートしますが、期間への責任なんだろう。

たまたま一緒にいるときに、やる事があるというのが責任なのか。家族と同じくらい、家族以上にサポートすることが責任なのだろうか。家族というのは、法的に責任を負っている。

人に対して、重大な責任を背負うというのは、できるだろう。
責任って、何だ。何を負うことなのか。これは、かなり難しい。
一応専門学校は、専門技術を習得させる
のが責任だろう。ある一定のレベルまで技術を習得させるので、授業料等を納めてくださいというものである。生徒も、授業に行かないなら、その技術を教わる責任を果たしていないのであり、よって学校側は、技術提供できない
ので、基本的責任はそこまでだろう。
つまひ、責任というのは、有限であることがわかるし、その主体で変わる。

サポート内容
・衣食住の提供
・活動の提供、サポート
・人付き合いのサポート
・夢実現へのサポート
・カルマの解消
・雑多な課題へのサポート
・活動への対価、必要最低限のお金の援助

次の活躍の場まで、導くことなのか。
全責任。それは、宇宙の法則しか、背負えないんじゃないだろうか。
ちょっと考え直したい。どこまで人は、人に責任を負うのが、筋なのだろうか。いや、どこまで背負うべきものだろうか。
婚姻制度もあるが、幸せにし続ける保証はない。 教育の責任とは、どこまでが理想の中庸なのだろうか。その都度変わるという一般論なのか。私は、何か大きな勘違いをしていた気がする。勿論故意ではなくて、先生が、真実とかけ離れた教科書の内容を教えたとする。あとで発覚する、もしくは闇の中。でも、それもよくあることだ。知識の正確性というものはあるが、それは枝葉な部分である。
道徳的なものだろうか。生き方なのだろうか。ちょっと考えると、教育というのは、責任はないというか、とれないというのが、本質ではないだろうか。愛情のエネルギーなのか、確かにこれは取れるかもしれない。教育の本質は、誰にもわからないというのが、真実なのではないか。死後の世界なんて、諸説あるし、真実はわからない。

この世のあらゆる真理や真実を知って、導ける人はいないから。
確かに、多くの勉強をすると、大枠は固まってくる。人間をどのように導いたら良いのか、感覚的にわかってくる。
勉強度合いによって、変わってくる。悟り度が高い人と低い人はいる。最高の教育者とは、何なのか。私は、会ってみたい。自分なのではないだろうか。最も自分を教育できるのは、自分なのである。そういった意志と努力があればだが。 やはり、宇宙法則自体が、最高の指導者なのだろう。ここから、逃れられる人は誰もいない。逃れたと思っても、それは勘違いである。瞑想しかり、儀式しかり。
この世界を、マトリックスのような世界と論ずる人もいるかもしれない。だが折角の最高の指導者を、そのように断じては、もったいないのではないだろうか。
いささか傲慢なのではないだろうか。
それだったら、その最高の指導者の基で、自分を成長させたほうが、いいのではないだろうか。無論、世間的な縛りから、自由になるというのは、できることであるだろう、タックスヘブンというのもある。どんなお金持ちだろうが、なんだろうが、全ての宇宙法則から、離れるというのは、できないだろう。お金持ちほど、宇宙法則を利用しているものだ。宇宙法則を味方につけて、打ち勝っていくのが、自然な姿である。無知がある分、人を導く力が弱い。なので、勉強し続けることは、必要である。

今回の考察でわかったことは、人の真剣で中庸な責任は、
①時期= ご縁が切れるまで、または一定期間
②内容=様々。

である。

次は、責任は、遡及できるのかどうか。
これは、個人的感覚では、遡及できないだろう。もう、起こったことなのである。つまり、例えば受験に合格させると塾側が言ったとしても、不合格の場合に、責任遡及されるのかというと、されない。いくら、多額の授業料を納めたとしても、それは提示された事に、契約したということだ。授業をしてないという場合なら、当然責任問題である。
また、霊界の勉強をしていると、あまり遡及問題をする必要はないことがわかる。必要なことしか起きないからである。