verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

どの人の言っている事が一番正しいの?真実真理含有率の違い アカシックレコード 嘘

多くの先達者が、真理や真実を説いている。
小林正観さんという方も説いている。アカシックレコードに書かれているものがあるとする。
生身の肉体を持っている人が、全ての真理や真実を、引っ張り出せたら、他の人がその人以上に発展する余地がなくなる。例えば、キリストが、全ての真理や真実を引っ張り出せるのであれば、他の人は、追随するしかないのである。そんな世界にするだろうか。果たして、それが理想なのだろうか。理想を突き詰めると、この世の真相がわかってくる。もし、自分自身が理想の神だとして考えてほしい。自分以上の存在がいないのは、寂しくないだろうか。そういう発想があるということは、その線は確実にあるのである。なので、時と環境と人と場所によって、会得できる真理や真実の量や含有率が違うのである。
生身の人である限り、 脳のキャパシティがどうしてもある。
人が説いている事は、どれくらい真理や真実の含有率が高いか、どうかで、判断するのが良い。仏陀と基督どちらのほうが、真実含有率が高いか。
ただ、真実に目が眩むと、より重要な核心を失う気がしてならない。理想社会の実現に向けて。
どの宗教団体も、そういう視点で見れば、似たり寄ったりなのである。うちの方が正しい。貴方達は、間違っている。
真実が、合ってるのか、間違っているかの二者択一思考フレーム。自分自身もよく、その術中に嵌まっている。真相が気になるのはよくわかる。純粋に突き詰めれば、わかるはず。
話は変わるが、
無いのが当然というパラダイムが、減ってきてるのが困ったものである。アフリカの貧困地帯には、食べるものが、ない。日本のご家庭では、子供に「有るのが当然だと思ってるでしょ」ではなくて、「無いのが当然なんだ」というのが、減ってきている。何事も、元々はない。生まれてくる前は、魂のみ。魂だけあれば良いとは、あまり考えない。死ぬときには、そんな色々持っていけないのだけど。極論言うと、「魂だけ消されないだけ有り難いと思えー」なのである。元々無いのが当然なのである。お金も、服も、家も、おもちゃも、家族も、友達も、食べ物も、学校も、職場も、肉体も、、。有って当然と思うから、感謝ができない。「命さえ」取られなければという人がいる。唯物論の発想が、入っている。
それよりは、「魂さえ」取られなければ、である。人間が思っている魂の取られ方じゃないっぽいが。しまいには、何もなくても、何もかもがなくなっても、有り難いが感謝の達人なのだろうか。それとも、魂さえなのか、命さえなのか、はたまた肺なのか、記憶なのか、なんなのか。どこが中庸なのだろうか。 全てがなくて当然。というのが、福音だろう。仮に、宇宙の始まりに、生まれてたら、何があっただろうか。地球の始まりに生まれてたら、人類の始まりにタイムスリップしたら、、、。
宇宙の始まり。地球の始まり。人類の始まり。有史の始まり。クニの始まり。日本の始まり。 無いのが当たり前だから、無気力かというと、そういうものではない。感謝のエネルギーは、一番強く働くのである。なんで勉強するの?という問いには、「すべてのものに感謝するため」と答えたい。今のところ、それ以上は見つからない。すべてのものだから、ずっと学ぶ必要があるということでもある。「じゃあなんですべてのものに感謝するの?」 「一番、人間にとって、必要な事だから」と答えよう。「えー、よくわからない」と言われたら、どの選択肢がいいかなと考える。人によって、伝わりやすい表現がある。