verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

優劣教育 比較教育 美醜教育

比較教育というものがある。
ヨーローパの二元論的な世界観だ。
第二次世界対戦の枢軸国と連合国。
比較というのを、受験勉強で徹底的に、
習う。
比較ぐせというものを持っていく。
比較することが大事であると、比較偏重主義になる。
比較することが、頭に良いようである。
比較する人は、比較される。
比較することでわかることもある。
「比較しすぎ」という言葉がある。
「高望みしすぎ」という言葉がある。
自分を苦しめる比較というものがある。
自分を肯定する比較というものがある。
自分を高める比較というものがある。
できれば、自分を肯定したい。
「唯一無二な使命があるのだから。」
人と比較はしないとアスリートはいっている人がいる。しかし、本当に「比較」してないのだろうか。

比較の定義が違うのかもしれない。
例えば過去の自分と今の自分を比較する。今の自分と未来の自分を比較する。
現実的に自分を圧倒的に高める信仰をする場合もある。圧倒的な存在になると、確かに抜け出すから、比較する相手が少なくなる。上か下かのピラミッドのような気もする。
超人は、森羅万象を師とする。
私も、キャリアデザインにも書いたが、最適解として、森羅万象を師とするようにしてきた。
ただ、まだ人と比べる自分がいる。
過去の自分と今の自分というのは、キリスト教的な人類進化論である。自己啓発もこの類いである。
確かに現実的に見える形で、結果が出る。

私は敢えて、思いっきり退行してみた。
退行させられたとも言える。

あれ?人は成長していないのではないかという説も思う。
人は、成長する存在する説とも思う。
このパラダイムは、とても自分の人生観に影響を与える。
資本主義や実社会に則している。
頑張っているのが、良いとする観念である。ここまでくると、もはやわけがわからない。



美醜教育というものもある。
顔が、ブスはブスである 。
性格が、ブスもブスである。
考え方が、ブスもブスである。
果たしてそうか。

優劣教育というものがある。
私は、劣っているのか。優っているのだろうか。もちろん、感情では優っていると思いたい。でも、現実的に優っていないものも多くある。多くあるというのは、主観である。本当に調査しきれたのだろうか。