verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

人生論 気付き 「人に貰ったものは、同じ人に返すのがいいのか」

「どんな時でも、どんな不幸でも、やり直しはできる。」
この言葉は、昔から少し気休めに感じた。
更に、こんな言葉もある。
「人に貰ったものは、同じ人に返すのがいいのか」
、、、

「地球から・社会から、貰ったものは、地球へ・社会へ返せば良い」
のである。

同じ人に返せないのかもしれない。それは、自分の弱さだったりする。「手遅れ」という表現もある。
でも、弱い自分もいていいのではないか。
克服できてない部分もあってこそ、
人間らしいのではないか。多くの事を克服した人はいても、完璧な人間はいない。
無神論の親父は、母に「生きる価値がない」と言っていたと、親父が死んだ後に母に聞いた。
子供には見せないけど、妻には見せていたのだろう。
では、それは、弱いのか。気を許してる愛とも言える。
私は、敢えてそれを気を許す愛とよびたい。
「逃げたものは、またくる。確かにすぐに向き合えれば良い。また逃げた。でも、いつか向き合える時が来るかもしれない」

話は戻るが、
「どんな時でも、どんな不幸でも、やり直しはできる。(生きていれば)」 この言葉を見てみたい。
他人から見ても、どん底の不幸のように見られる場合もあるだろう。
例えば、有名人の社長の本に、よくある。倒産、借金。
「その人は、精神力があったり、周りに助けてもらったり、したんでしょう」と思ってしまう。
そうではない。
どんな状況でも、生きて前に、進めれば、何かあるのである。
自分自身が、それでもなお、生きるのだ。少しずつするのだ。

どんな偉人に見える人も、99.999%の存在である。
その0.0001%を改善しようとする、または諦める。
他の人も 99.999%だったりする。
二人合わせても、0.0001%わからなかったりする。
色んな人が合わさって、作品ができる。
地球という大きな作品を作っているのは、全ての人でもある。