私は、あるテーマを解明したかった。
ある企てを試みた。
いや、むしろそこまで作為的ではない。
ここまでになるとは思わなかった。
本当の不幸とは、どんなものなのか、考えた。
本当の幸福とは、どんなものなのか、考えた。
「どこまで、人は、不幸になれるのか」
。
「本当の不幸の人とはどういう人だろう」
私は、薄薄、ただ「反対側」にいる人の気持ちも知りたかったのである。
躁鬱の親父や姉の気持ちを体感したかった。
「不幸」の人の思考に流れているのは、どういうことか。 それは、書籍で見ているものとは違う。
わからない。
自分に起きたことが、わからない。
さっぱりわからない。
誰にもわからない。
「ここまでの不幸があっていいのか」と何度も思った。
「あなたに流れてるのは、たいした不幸ではない」という人もいるかもしれない。
本当の不幸とは、何か。
本当の不幸とは、「毎日一分一秒も感動せず、生きている事を、自分自身を諦める事である。自分を責め続けることである」
「自分のアイデンティティを全て破壊する、否定することである」
怒濤もない不幸の渦中の「体験者」に、なることができた。
人と人では、「流れている思考、その他ものもろ」が、ここまで違う。