verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

一回目 何事も、魔の一回目がある。

一回目。
とても怖いものがある。
私は、小学校の時に、野球倶楽部がかなり厳しかったのと、楽しくなくて、気持ちがだいぶ萎えていた。ストレスがたまっていた。友達にもそんなことは言えなかった。
それを初めて、親に言った。そしたら、親は、「そんなにならやめてもいい」と言った。電話で、一言、恐る恐る監督に言った。どうなるかわからない。
監督は、「わかった」と一言だけ。
何も理由も聞かなかった。
何かが崩れた、勝ったような感じがあった。悪魔がとりついた。親に言えば、辛いことから逃げていい。自己表現が、うまくいかない子だった。ストレスがピークに達していた。
よくよく考えてみたら、野球自体が嫌いだったというよりも、ストレスピークになってしまう癖があった。 子供は、ストレスという毒を感じたら、「疲れた、辛い」とかで吐き出す。でも、私は、そのような仕方で、毒をほとんど吐き出さなかった。 「疲れたー」と言うことが、気恥ずかしかった。「なんで、人は楽しいと言ってるときと、やめたいと言ってるときがあるのか。二面性がわからなかった」
表面的と、精神的は違う。愚痴を言わないから、愚痴を聞くことが多かった。自分は優しかったのだろう。愚痴がゴミであるとわかったのは大人になってからだ。愚痴言うなよという事に限る。愚痴は、たいてい断ることだ。愚痴とSOSは違う。

愚痴の習慣がある人は、常に愚痴というゴミ毒を周囲に撒き散らす。愚痴友達と一緒にいるから、愚痴も溜まる。

話は戻るが、ストレスコントロールの仕方を修得できれば、よかったのだろう。

世間では、一回目、学校のずる休み。一回目のサボり。
例えば、一回目の浮気と不倫。一回目の買春。
一回目というのかある。