一回目 何事も、魔の一回目がある。

一回目。
とても怖いものがある。
私は、小学校の時に、野球倶楽部がかなり厳しかったのと、楽しくなくて、気持ちがだいぶ萎えていた。ストレスがたまっていた。友達にもそんなことは言えなかった。
それを初めて、親に言った。そしたら、親は、「そんなにならやめてもいい」と言った。電話で、一言、恐る恐る監督に言った。どうなるかわからない。
監督は、「わかった」と一言だけ。
何も理由も聞かなかった。
何かが崩れた、勝ったような感じがあった。悪魔がとりついた。親に言えば、辛いことから逃げていい。自己表現が、うまくいかない子だった。ストレスがピークに達していた。
よくよく考えてみたら、野球自体が嫌いだったというよりも、ストレスピークになってしまう癖があった。 子供は、ストレスという毒を感じたら、「疲れた、辛い」とかで吐き出す。でも、私は、そのような仕方で、毒をほとんど吐き出さなかった。 「疲れたー」と言うことが、気恥ずかしかった。「なんで、人は楽しいと言ってるときと、やめたいと言ってるときがあるのか。二面性がわからなかった」
表面的と、精神的は違う。愚痴を言わないから、愚痴を聞くことが多かった。自分は優しかったのだろう。愚痴がゴミであるとわかったのは大人になってからだ。愚痴言うなよという事に限る。愚痴は、たいてい断ることだ。愚痴とSOSは違う。

愚痴の習慣がある人は、常に愚痴というゴミ毒を周囲に撒き散らす。愚痴友達と一緒にいるから、愚痴も溜まる。

話は戻るが、ストレスコントロールの仕方を修得できれば、よかったのだろう。

世間では、一回目、学校のずる休み。一回目のサボり。
例えば、一回目の浮気と不倫。一回目の買春。
一回目というのかある。