高校から、大学にかけて、なかなか自分と興味や話が完全に合う人がいなかった。
相手の興味に合わせた会話をする癖がついていた。自分の興味に、相手を合わせるのではなく。
自分の興味があることでも、相手が興味ないなと思うと、すぐゲンナリしてやめる。
続けれない。たまに、相手の興味とは裏腹に、どんどんしゃべる人がいるが、それも才能なのかもしれない。
どちらかというと、百パーセント素直に話してるというより、ウケる話をする感じがあった。 迎合と呼ぶのかもしれない。
周囲もそれを望んでいるから、笑いがあれば、楽しかった。
少し合わせている感じである。
丁寧に真面目な議論もいっぱいしたかった。勝つか負けるではなく。
新卒で入った会社の先輩や社長が、自己啓発書・ビジネス書マニアだった。自分が知らないことをいっぱい知っているので、惹かれた。
元々自己啓発書・ビジネス書は好きだったが、会社に入ってかなり読む、実践を繰り返した。
効果がすぐわかるから、楽しかった。
だいたい本屋に行けば、結構な数のこの本のこれ、知ってるとなる。
その後、自己啓発書より、聖書の方に行った。聖書に詳しい人と話をするようになった。
そして、仏典の方にも少し気になった。
古典や原典の良さがある。
このテーマのこの話を、深くできる人を探すのはとても大切だ。
自分は、そこを怠ったと思う。
だから、人それぞれ興味が違うから、やはりそれなりに多くの人と、色んな人と話をする必要がある。
高校の時も、「漫画のハンター×ハンターならこいつと話したい」というのがあった。「セリエAならこいつと」というのがあった。
それが大切である。