verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

法治国家

法治国家とは、人間が過ちを犯すから、法で抑止しようというものである。
キリスト教的世界観である。
為政者にとって都合が良い法律を作ろうというものである。

徳治国家とは、道徳により、人間が治めていったほうがいい。
孔子的な世界観である。

日本は、ある一定の法治国家に当たる。
アメリカが、法治国家的観念が100だとしたら、日本は30ぐらいであるような、個人的な感覚である。これは感覚であるので、間違っているかもしれない。
平均的なアメリカ人は何でも裁判する訴訟国家である。平均的な日本人は訴訟は避けたい。強者による泣き寝入りは避けたい。
何でも裁判する人生が望むのだろうか、行き過ぎである気がする。

法治国家だから、法に従え」と主張する人がいる。その人や団体にとって、都合の良い法律を突きつける。

法律は弱者のためか、強者のためか。法律は、混沌より秩序を重視する。

自分を法治国家者とレッテルづけをすると、自然とそのように向かっていくから注意が必要である。
より法治国家として、その良い塩梅に、方向づける必要があると思う。
足りないパーツを埋めていく必要がある。
要は、中庸バランスが大事であると思う。


我が国は“法治国家くずれ”である
http://www.warewaredan.com/thread02.html

我が国は“法治国家くずれ”である