不謹慎だが、あまり書かれない。
憎むことを、頭ごなしに否定するわけにもいかない。憎みを受けとめ、ポジティブな方向に向ければ良いのだろう。
例えば、ヤミ金に親父を殺されたとしよう。
家族として、それを憎む、しかし、自分の今の力では、どうしようもない。ならば、弁護士になると心に誓い、ヤミ金退治に勤しむのは、良いのではないだろうか。
それを、「ヤミ金なんて相手にしない方がいいよ」や、「お前には司法試験なんか無理だよ」というのは酷である。また、いやその心自体をなくした方がいい。なんて事を言う人もいる。スピリチュアルで消せると。
とてつもない激しい憎悪心を利用しようではないか。普通に暮らしてても消えないのである。普通に暮らしてて消えると思っている人は、そういう体験をしてないのだろう。
またヤミ金一掃しようとしてる人が、「いや、ヤミ金にも一理ある。まあ仕方ない」なんて思ったら、負けである。
勿論その心自体がなくなれば本人は幸せなのかもしれないいが、現実はそうはいかない。
寧ろその心を前に向けた方がいい。
憎しみを祈りに変える人もいるだろう。「敵を愛せ」と。
そういう体験をした意味がある。それを、どのように色づけするかは自分次第である。