verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

政治嫌い なぜだろう

政治が嫌いになったのはいつだろう。
10代の頃は、よく新聞を読んでいた。もし周囲に「書いて発表した方がいいよ」と言って徹底する人がいたら、そうしてたかもしれない。
まだ当時は、新聞に対する敬意みたいなものが社会にもあった。
新聞というのは、時事にあたるし、知識の養成にいいのだろう。好きなものを切り抜きもしていた。
一読して、文章で理解できないところがあったから、理解するのが勉強になった。次第に文章を理解できないというのはなくなっていった。
ある時から、新聞に書かれていることが、薄っぺらく感じた。そこから読まなくなった。あまり近くにそこまで政治・経済の話をする人がいなくなった。恐らく、自分が経済的下位の階層に入ったのもあるかもしれない。
それと、新聞よりネットや書籍や論文の方に移った。
あと、本当の真相は、内部の人しかわからないという理屈をつけていた。
10代の時は、結構無邪気に、良い政治になればなとか、良い政治ってなんだろうとか、この人はこういう意味であの人を牽制してるのかとか、「この人達も大変なんだ」と好意的に政治家を見てた。自分が知らない世界や自分よりも年上に対する敬意があった。
あと、周りの人が批判をするのをなぜか、この人は現場にいないのに、よく批判できるなと思っていた。周りの大人と、政治家だと、政治家を上に置いていた。言論って、そういうもんじゃないと後で気づいた。有識者と呼ばれる人の意見がどれもレベルが高く見えてた。自分の意見を押し殺してた。いつもなぜか纏める役割で見ようとしてた。
大人は、「新聞ぐらい読みなさい」と言っていた気がする。
何だろう。いつしか自分には関係がない世界、離れた。確かに読んでると、先が予想できたり、関連付けができてきたりする。多分読み方や使い方が安易だったんだろう。娯楽や消費の延長で使っていた。
発表する機会もないしと。
重要な活用の仕方は、それを今の自分にどう活かすかなんだと思う。
例えば、それを友達や家族や知人の話題に上げる。正解主義に毒された自分は、意見にも正解があるようで、あまり話題に上げられなかった。一人で考えてた。





政治嫌い

政治嫌い

追記
政治嫌いだった。今は、政治について肯定的に見れるようになった。政治について、考えてみようと思う。