verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

東大入試、東大の欠点、学歴社会の欠点 批判 改革点 どうすればいいか デメリット

□追記(2024年2月18日)
東大がやっと文理融合の秋入試を27年度から始めるみたいだ。これはある意味念願の事項で、着々と欧米との差をなくす仕組みを作ろうという意識の表れだ。そもそも論として、理系と文系に分けるのは、学校側がやりやすいからであり、生徒側としては、様々な文理横断授業の方が、ワクワクするものだ。勿論、それをなんとか達成しようとする取り組みもあるだろうが、良い流れではあるだろう。


以下は、昔書いたものだ。
知的障がい者にとっては、ペーパーテストは悪の権化の塊だ。だが、東大に知的障害の方を、知的障害者枠を確保して、入れるほうがインクルーシブになるのか?分からないが、様々な立場の人の考えを反映した政治的中立が何よりも優先されるならば、必要かもしれない。だが、ペーパーテストでは、100%受からないわけだから、面接等だけで判断するのは、東大が好きな客観性が乏しくなるし、困るかもしれない。だが、あまりに同じような属性の人が集まっても、社会的な中立性は確保されないから、同級生や知り合いに、いればいいかもしれない。また、知的障害の方が、東大の授業についていけないわけだから、現実的ではないわけだから、東大の科目履修生として、政治的中立が求められる授業に参画してもらうのがいいかもしれない。
以下のリンクは、東大のインクルーシブ講座だ。
https://www.p.u-tokyo.ac.jp/cbfe/education/diversity-inclusion-education/



最強の無信仰
https://verymuch8.hatenablog.com/entry/2022/06/10/020044

学歴社会に葛藤がある人へ。逆説的補足として、勉強は死ぬほどした方が良い。人生がイージーモードになるし、難易度が高い事も達成する事ができるという理由もある。頭が良いかどうかは、受験勉強でほぼ決まるという造形的な人間造詣論がある。かなり暴論に聞こえる恐れがあるが、造形的人間造詣論は、偏差値50の考え方・偏差値60の考え方・偏差値70の考え方・偏差値80の考え方という思考フレームとも言える。偏差値40未満の考え方は、長くなるし論点がぶれるので、あまり書きたくないが、まあいつか機会があれば書こう。この偏差値別思考フレームは、ほぼ生涯に渡って続く。なので、現時点で、子供達に、「なぜ、受験勉強しないといけないの?」と聞かれたら、この話が最も的確な答えのひとつなのだ。敢えて、片方に寄って表現してる。ただ、ちょっとだけ引き戻す話をしよう。学び直しをすればいいのだ。脳トレをするのも良い。人生で欠落した部分は、またやればいい。そして、「なぜ、勉強しないといけないの?」という問いも答える機会があればいい。
私は、輪廻転生を含めて、生涯教育に精通しているし、もっと勉強して、輪廻転生的人間造詣論を書ける日が来るまでもの凄く時間がかかる。あと、この人の言うことは、とても信じるか、全然信じないかで話は変わってくるのだ。
もう少し書きたいが、今はこの辺にしとく。

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以下は、昔書いた記事だ。どんどん読み飛ばして構わないだろう。
茂木健一郎さん、自分とかなり感覚が近い。東大卒で、そこまで言う人は、少ない。
普通の偏差値教育は、個性を潰す教育である。
そろそろ、既存学習分野と日常生活とある一つの宇宙原理と、科学・非科学現象を、くっつけた悟りの融合問題を作成すればよいのである。学習したある悟りがないと、解けない問題なのだ。

なぜこぞって、日本社会でそのような教育を組織ぐるみで、邁進しているのだろうか。「代案を出せ」というので、下の方にも、出しとこうと思う。

脳科学者・茂木健一郎「東大入試のような偏差値教育が日本をダメにする」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2821.html

型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

型破りすぎる!伝説の「東大の日本史」問題 解答へのダメ出しがそのまま問題に | 学校・受験 | 東洋経済オンライン




もし私たちが、入試を創るなら、形は完璧ではないが、このようなアイディアの入試を創る。
問題77
共産主義と資本主義を、質量保存の法則と熱力学を用いて、両方の主義を融合させ、現代社会の触媒として機能させられるものを関数として示し、新しい主義を提案せよ。

社会・理科・数学・国語・芸術融合問題である。多科目融合問題は、一つの問いで、あらゆる知識を総動員する。1次的採点として、まず、スマホやパソコンを使わせずに、独立で書かせる。次に、スマホやパソコンを使わせて書かせる。

正解がない時代と言われている。よくわからないものに、自分なりに表現していくのが大切なのではないか。

命題1
神秘主義と唯物主義を融合した新たな主義を提案せよ。

命題2

大化の改新フランス革命明治維新の共通点と相違点について、それぞれの主要な人物の思想背景についてを、理科に出てくる法則を使って、図にせよ。更に、主要な地名を、手書きの地図を描きなさい。

歴史、社会、理科、地理

命題3 応仁の乱において、どちら側について、どのように戦っていくか、自分なりに表現しなさい。

命題4 「圧縮、爆発、膨張」のメカニズムと、人間の生老病死の関係性を説明しなさい。
命題5 「圧縮、爆発、膨張」のメカニズムと、車の曇りの現象の関係性を説明しなさい。
太郎くんと花子さんは、一緒にお父さんと、ドライブに行きました。ふと、車内の窓が、急に曇り、「なぜ曇るのだろう」と疑問に思いました。
花子さんは、お父さんに、なぜ曇るのか聞きました。
お父さんは、「圧縮、爆発、膨張してるからだよ」と答えました。
花子さんは、まるっきり意味がわかりませんでした。
太郎くんは、「内気温と外気温の差だよ」と答えました。
花子さんは、どちらが正しいかわけがわかりませんでした。お父さんは、ヒントを出しました。お父さんは、どのようなヒントを出したでしょうか。このような理科の実験があります、、、。車の外気温と内気温の差を埋めるテストを、日産は、行っています、、、。

命題6 「圧縮、爆発、膨張」のメカニズムと、リンカーン大統領が暗殺された事件との関係性を、カルマの法則を用いて、説明しなさい。

私達は、東大入試を作りたいのだ。あらゆる学問を統合した、一つの宇宙原理と、科学と非科学緒現象を、繋げる融合問題を、くっきり愛で提供したい。

東大入試が変われば、教育が変わると勝手に思っているからだ。それには、沢山の愛がもっと必要だ。

東大入試文Ⅲ後期試験2001年には、
三つの写真を見て、それらに共通する主題を任意で設定し、あなたの考えるところを2400字以内で論じなさい。とある。
これは、とても良い問題だ。
だが、敢えて、このスタイルの弱点としては、この「共通する主題」というのは、答えがあるのだ。
一見、答えがないような設問形式だが、答えがあるのだ。答えがない時代に、いかに提案・実現する所まで持っていけるかどうかなのだ。

□追記
昨今では、東大入試も変わってきた。この流れで進んでほしい。間接的に、夢の1つが叶ったものだ。間接的だと、そんなやりがいはないが、嬉しい。直接関わりたい気持ちもあったが、それを実現するためには、パワー数(自分の願望を100とすると、叶うには10000以上が必要)が足りない。

https://kimino.ct.u-tokyo.ac.jp/2369/
推薦入試をやるぐらい挑戦的でもある。特別な個性を持ってる人が生まれるようだ。

□追記
時代の流れと共に変わってきた。今後もより良い入試になることを期待してる。



下記は、昔に正直に書いた記事なので、読まなくて良いものだ。

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敢えて今日は、東大を批判してみよう。「負け惜しみ」で言ってみよう。
東大入試が滑稽である、と言いきれる人は少ない。なぜ言えないか、その分野を勉強してないから、理解が出来ないから。
ダンスの天才に、東大入試力は必要か。
ダンスの天才は、「なんや、小難しいな。俺には必要ない」と感じる。
なぜ滑稽か? 東大教授の論文や学識という土俵で、戦わないといけないのだろうか。

学識と人生の深みは一致するのだろうか?
仮の設定として、仏陀とキリストは、東大入試を解く必要があるのか。

超絶ダンスと東大入試?どちらが、人が感動するか?
東大教授が作っているから正しいのか。
昔からの踏襲が入試になる。徐々に変更する。教授会のパラダイムだ。
大幅に変えると、学年的に混乱を与えるからと説明する。そもそも、どのような混乱にも立ち向かえるようにするのが、勉強ではないだろうか。
くれぐれも東大教授が、悪の権化のような書き方だが、そんなことはない。
東大教授は、ヒエラルキーのトップなのだろうか。
国立大学・私立大学は、税金を使ってる。血税を貰っている公務員である。
ならば、一般市民が意見をしていいのではないだろうか。
なぜ一般市民の声は、黙殺されなければならないのだろうか。
自分が、勉強しなかった分野の延線上の人だからだろうか。この発想自体が、偏差値パラダイムに囚われている。

インプット型大学受験で、学んだ知識は、大学生になると、ほとんど忘れてしまう人が多い。
私もその一人である。というか、ほとんどの人に、受験で習ったことを聞くと忘れている笑
たまに先生や親で、「世界史で習った長い名前は、大人になったら使うかもしれない」と悪意なく騙している人がいる。 いや、ほとんどの人は、あまり使わないだろう。
受験勉強では、世界史用語集を丸暗記させられる。
そのうちの、どれくらいの用語を人生で使うのだろうか。5000語のうち、幾つ使いましたか?と。どれくらい意味がありましたか。
旅先や話の会話で出た言葉を、聞くもしくは、ググれば、すぐにわかる、おしまいである。
騙している人は、騙されてるのである。
それらの知識は、本当に必要なのだろうか?
よく調べが足りないが、東大入試に、なぜ芸術項目がないのでであろうか。芸術の科目も習ってきたのだ。


東大は、元々官僚養成校として、生まれたものである。今もなお、続々と合格者を出し、官僚養成校として役割を有している。
学校の特色を出すには、東京大学官僚養成校に名前を変えればいいのではないか。これは冗談だ。
東大から、漁師になると、変人バカ扱いされる。その人は、自分の明確な目標が見つかったので、憲法職業選択の自由を行使しただけである。それなのに、「(東大)大学出たのに?」と言われる。「個性的な道を行くと、自分が努力した事が、水の泡になる気がして、多勢に行く」。エリート主義で、寄らば大樹の陰だ。

重箱の隅を叩き合うのが、社会や学会なような気がする。それを、ブラッシュアップと言う。
誰だって本来は、批判されなければ、表立って批判したいものであると思う。
企業の採用担当者は、「東大生でも使えない奴は使えない」と言う。それに対して、「負け惜しみ」という人がいる。その企業の担当者は、利己主義ももっているので、議論してる時間がもったいない。「いや、東大の事務処理能力?普通に使えないんだ」と、内心思っていても。
陰でコソコソ言うと、「負け惜しみでしょう」という言葉が出る。表立って、言える人は、東大卒か学者か有名人のみであるかのようだ。
早大卒のコメンテーターだと、あざ笑う人がいる。

東大生・東大卒でも、教授のヒエラルキーがあるから、声を大にしては言わない。わかっている東大卒社会人も、忙しいから。

反論としては、
「論文という形じゃない」「もっと調べてから言え」「よくわかってないだけだろ」と。
東大教授の権威と、素人という庶民の集合意見どちらをとるか? 感性に従って、意見しただけである。
その受験・仕事レールに乗っかってる人は、その自分が乗っているレールを批判をすると、やる気が出なくなる。これは、人間の習性である。
「そんな時間ないし、論文形式なんかしたくない」至極全うである。
表現の自由で発言してるだけである。
「東大入ってから言え」というすり替えを言う人がいる。「なんで私は、好きでダンスの専門学校行ったのに」と思う。
あれダンスが上手なのと、微分積分、お笑いどれが頭が良いのか?いや、頭の良さではなく、どれがその人にとって、楽しいのか。
しかし、はっきりいって、上か下かの偏差値パラダイムに囚われているだけであろう。
囚われているということは、煩悩で言えば、執着で、負けにあたる。
表現の自由がある。
ちなみに、東大受験生、東大生が悪いわけではない。
仕組みがズレているのである。
親や先生や知人は、「とりあえず明確な目標ないなら、偏差値が高い大学行っとけ。そこで何か出会うから」
大学生、「入ってみたは良いが。いや、何かが違う。あれ?出合わない。まあいっか。バイトやサークルいこう。」
東大合格しても、夢を描けない人が多い。いや、ほとんどの大学生がそうだ。サークルやアルバイトや資格勉強や、恋愛や、学問やらをする。
そうこうしているうちに、就職に備えようとする。勝ち組や負け組となる。
そもそも、夢や目標が描けない教育なのではないのだろうか?
明確な目標を見つけるメカニズムを知らずして、発言しているからだろう。
東大出身や官僚になった人は、自分がした受験勉強に対して、「この勉強がおかしかった?」と思っても、自己矛盾になる。人間の習性で、労力や時間を費やした事で、自己矛盾はいやだ。
レールからそれるとバカ扱いされる。
レールに乗っかってる方が、あまり考えずにすむ。
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