待ってあげる教育 干渉

親には、ある反面、物凄く感謝してる。
親の期待は裏切りまくった。反抗して、諦めさせた。
しかし途中から子供には、何かがあると、気長に待ってくれる部分があった。
気短な親だったら、強制力を働かせて、殴る蹴るだっただろう。
待ってあげる教育というのもある。
それが、愛だったりする。
介入や干渉も必要だが、自由意思に任せるのも必要だろう。
その人がまだそのステージで留まってなかなか上がらないと、待ってあげられる人は少ない。
バシバシ詰め込むのが、教育だと思ってる人もいる。
子供を親の私物のように考えてる人もいる。それよりは、社会へ送り出すダイヤモンドの原石、傑作品と考えると更に良いと思う。そんな簡単には磨けない。
落ちこぼれが東大を目指すドラゴン桜という漫画のシーンで、数学の先生が、「詰め込みこそ教育である。」と言っていた。
この先生像とは違うかもしれないけど、意見を固持する動じない先生がいる。頑固親父という言葉がある。頑固親父も必要である。何か1つのメッセージを伝えようとすると頑固になる必要がある。
何はともあれ、結局は、自分の都合のために動いてる大人は子供の観で見抜く。根気よく、本気で向き合ってるかどうかでもある。
そうかもしれないと思ってた。規律や事務所理能力をしっかり身に付け、高い社会的な地位を目指すべきという根底があるかもしれない。
でも、そうじゃないなとも思うようになってきた。
「ゆとりか詰め込みか」という議論がある。 これはまた今度書いてみたい。