表現の公開性、非公開性

昔から自分は、表現すると、自分がさらけ出されて、恥ずかしいというタイプである。でも、表現しないのも気分が悪い。表現しなくなると、段々と落ちていく。自分は、元々鋭い一言を気づき、言いながら会話を進めようとするタイプだったが、自分が頭が良いタイプではなくなったと感じてから、余計に人に対して表現を躊躇った。表現しきれないと楽しくない。だから人間は少人数行動をしたりする。
表現しないと、エネルギーの廻りが鈍化する。
大阪のおばちゃん的なのはみっともないと感じることもあるけど、きちんと表現してる人は、正直格好いい。
表現しきれてない人は、逆に大阪のおばちゃんを見習ったほうがいい。
日本人は、身近な人には、表現する内弁慶タイプも多い。
どうしてオープンにしないのか、やはり損得感情と自己防衛が働く。
突っ込まれるのが嫌だから。
問題提議する表現者は完璧ではない。
傍観者の発言は、一見理路整然で、頭が良さそうに見えるが、たいして現場の役に立ってない場合が多い。現場では、グダグダ言うより動く。積み木と一緒で、動いた分だけ積める。

また、自分は、まだまだだからと逃げやすい。いつまでたっても、表現力が身に付かない。
表立って、自分の意見をなかなか表現できない。正しい意見や思想というのが存在する可能性を、自分で「重箱の隅をつついてる」ような感じである。人に重箱の隅をつつかれるのも嫌だが。重箱の隅をつつく・図星を指摘すると勝ち誇った顔をする人もいる。

公開するから、注目が集まる。公開者の特権。公開するから、フィードバックももらえて、巧くなる。
何か引け目を感じる・誹謗中傷を嫌う時部分がある。ネットワークビジネス宗教的なものを、身近でない人に言うのは気が引ける。
炎上を恐れる。ネットや2ちゃんねるの恐怖や底知れない悪意は、怖い。誰か知らない人が、自分を攻撃している。でも、それでやめるかやめないかだと思う。
顔付き実名で、ネットで公開してる人は、自信家で素晴らしい。そこが表現者としての壁。
自分がわかってない所があって、穴を指摘されると頭が悪い事を露呈してるような感じがする。それを恐れて、理論武装や研究をしたりする。
法律やビジネス書、弁護士等の人脈を固めるのは、不安感からの自己防衛のためである。法律を笠に着る。現実や社会は甘くないから、泣き寝入りしたくないなら、自己防衛するしかないという結論に至る。強気になれるか、弱気になるかは、結構そういう所で決まったりする。
社会はシビアで甘くない、怖い。
磐石な状態まで築いてから、戦いに出ようとする。 嫌な人が山程いる。