verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

表現の公開性、非公開性

昔から自分は、表現すると、自分がさらけ出されて、恥ずかしいというタイプである。でも、表現しないのも気分が悪い。表現しなくなると、段々と落ちていく。自分は、元々鋭い一言を気づき、言いながら会話を進めようとするタイプだったが、自分が頭が良いタイプではなくなったと感じてから、余計に人に対して表現を躊躇った。表現しきれないと楽しくない。だから人間は少人数行動をしたりする。
表現しないと、エネルギーの廻りが鈍化する。
大阪のおばちゃん的なのはみっともないと感じることもあるけど、きちんと表現してる人は、正直格好いい。
表現しきれてない人は、逆に大阪のおばちゃんを見習ったほうがいい。
日本人は、身近な人には、表現する内弁慶タイプも多い。
どうしてオープンにしないのか、やはり損得感情と自己防衛が働く。
突っ込まれるのが嫌だから。
問題提議する表現者は完璧ではない。
傍観者の発言は、一見理路整然で、頭が良さそうに見えるが、たいして現場の役に立ってない場合が多い。現場では、グダグダ言うより動く。積み木と一緒で、動いた分だけ積める。

また、自分は、まだまだだからと逃げやすい。いつまでたっても、表現力が身に付かない。
表立って、自分の意見をなかなか表現できない。正しい意見や思想というのが存在する可能性を、自分で「重箱の隅をつついてる」ような感じである。人に重箱の隅をつつかれるのも嫌だが。重箱の隅をつつく・図星を指摘すると勝ち誇った顔をする人もいる。

公開するから、注目が集まる。公開者の特権。公開するから、フィードバックももらえて、巧くなる。
何か引け目を感じる・誹謗中傷を嫌う時部分がある。ネットワークビジネス宗教的なものを、身近でない人に言うのは気が引ける。
炎上を恐れる。ネットや2ちゃんねるの恐怖や底知れない悪意は、怖い。誰か知らない人が、自分を攻撃している。でも、それでやめるかやめないかだと思う。
顔付き実名で、ネットで公開してる人は、自信家で素晴らしい。そこが表現者としての壁。
自分がわかってない所があって、穴を指摘されると頭が悪い事を露呈してるような感じがする。それを恐れて、理論武装や研究をしたりする。
法律やビジネス書、弁護士等の人脈を固めるのは、不安感からの自己防衛のためである。法律を笠に着る。現実や社会は甘くないから、泣き寝入りしたくないなら、自己防衛するしかないという結論に至る。強気になれるか、弱気になるかは、結構そういう所で決まったりする。
社会はシビアで甘くない、怖い。
磐石な状態まで築いてから、戦いに出ようとする。 嫌な人が山程いる。