verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

力と生意気 家庭内暴力と紛争 純粋フラットの名前の意味

力で、押さえ付けるのだ。
生意気な人に対しては、それしかないのだ。私は、力で押さえ付けられた。生意気だったからだ。公安学をしっかり勉強した人は、力で押さえ付ける意味を理解している。法律を犯した子供は、少年院に行けば良いのだ。そこで、更正するきっかけが与えられている。そこで、更正するかしないかは、本人次第だ。

どんな人生を選んでも良いという、最大の愛と最大の罰の真理があるのだ。
私は、生意気だった。更正させてくれる人を求めていた。が、誰も更正させてくれなかった。だから、神が更正させるようになったのだ。珍しいパターンだ。必ず、身を切る覚悟は伝わるのだ。
やはり、この世は、純粋フラットだけなのだ。それ以外ないのだ。
私は、9時に寝て、1時に起きて、書類を整理した。3時40分に寝て、7時に起きた。二度起きた。それもいいのだ。昔は、できるだけ5時まで寝てようとばかりで、目が覚めても、寝ているばかりだった。それもありだが、目覚めた時は、何かをすれば良いのだ。
明日は、4時45分に起きよう。三時起きまで、もうまもなくだ。二月末までに、三時起きが定着してほしいのだ。
とにかく、何事も正直に魂に忠実になることで、うまくいくようになっているのだ。
私は、「暴力」の重要性を、家族にわかってほしいのだ。
躾なのだ。言うことを聞かない子には、暴力をふるって良いのだ。

エネルギー交換とカルマの法則なのだ。

肉体を美しくするのが、躾で、それには、ある意味、暴力も必要なのだ。
世界平和と暴力と、躾と暴力の微差がわかってない親が、増えない事を祈る。
「紛争で暴力が使われている。人が苦しんでいる。だから、自分も家族に暴力をふるう躾は、やめよう。となる。これは、飛躍があるのだ。紛争と家庭内暴力は違うのだ。勿論、ずっと恒常的に殴って良い、殴られて良いというわけではないのだ。
それは、自分が暴力をふるわれたくないチキンなのだ。ふるわれていいと思うことなのだ。」
やはり、聖書というのは、ちゃんと大量に勉強しないと、一面だけ捉えてしまうのだ。私は、バカだったので、ちゃんと大量に勉強しなかったので、ミスを犯したのだ。
要は、自分が取りたい部分だけ取る脳の仕組みにやられているのだ。簡単に言えば、反対の事が表現されている箇所がどこかしらにあるのだが、それを見ていないと、間違うのだ。
都合の良い箇所ばかり引用するトランプさんのようだ。
この世界は、本当に、純粋フラットと内外反転のみなのだ。

誤解して、自分を苦しめる人が減ってほしいと思うのだ。が同時に、苦しみも人生の試練なのだ。
やはり、文章では三行程度ないと、純粋フラットの意味合いを伝えられないのだ。喋りでは、両方伝えると、また時間がかかるのだ。
なぜ、純粋という言葉を抜けないかというと、フラットと内外反転だけではないかというと、どの人も純粋に向かっている方向性はあるのだ。
ただ、この「純粋」というのは、頭で考えるだけではわからないのだ。
フラットは、平衡に保とうとするもので、ブランコやメトロノームのようなイメージだ。内外反転は、行き過ぎたものは、是正される働きだ。

強い性欲が出たが、さすって、何とかセーブできた。これも、試練なのだ。向き合うことだ。
私は、上ばかり見ていたが、足下をしっかり見ることだ。日常生活の悔い改めが、一番大切なのだ。神のお陰で、このblogは、日常生活の悔い改めに繋がるものにしていただいた。
仕事というのは、大切なのだ。自分が罪を作る時間がなくなるからだ。勿論、仕事中に罪を作る場合も多い。が、それはプライベートよりマシなのだ。学生より社会人は、忙しくていいのだ。時間がないぐらいが、普通の自制心ぐらいの人が、罪を作らないで済むのだ。時間を持て余している方が罪を作りやすいのだ。ことわざにもある。自由な時間を持っている人は、それと同じくらい自制心が必要なのだ。

ありえない真実 100%の人生

ありえない真実とは何か?

私が、一番嫌だったありえない真実とは、この世のすべてが決まっているという事だ。
魂は、全てを決めて生きている。魂通りに生きているという事だ。魂がそのようにしているのだ。頭が痛いところだ。これは、スピリチュアルを極めた人しか、わからないものだ。占いで、99%決まっているから、当たると言われている。が、実は100%決まっているのだ。が、それがわかる人はいないのだ。神様のいう通り、なのだ。
時間というものがあるとされる四次元空間だ。
が、時間がない次元からの働きかけで、四次元空間が決まるということは、何でもその次元で決まっているということの示唆になるだろう。私は、嫌だった。1分1秒一瞬、んなわけあるかい、と思っていた。が、これがありえない真実なのだ。まあ、どの意識層で見るかによるのだ。一番深い層までいけばよかるのだ。
しかし、わからないから、人間は面白いのだとも言える。見て楽しいかは、別問題だ。

ところで、シンプルに話をするのは、大切だ。
人間関係については、究極的に考えると、言葉というのは、「ごめんなさい。ありがとう。うん、いや。」ぐらいなのだ。 母には、「ごめん、ありがとう、うん、いや、ありがとう。ごめん。ごめん。」と言っている。
私の母は、直撃のシンプルに言う癖がある。「働けー、ハローワーク行けー」だけだ。それでいいのだ笑
あれこれ理屈をつけて言うのに、慣れていると、見失うのだ。シンプルに考えるのも、とても大切なのだ。 「そろそろ、ハローワークに行きたいものだ」

体の三重性と日常会話 要点 体の構造

最近は、かなり夢のトレーニングが進んできた。
夢を2分見て、起きて、「主」に確認して、内容に沿って、お祈りをする。
脳内に、イメージが浮かんだ人は、魂が弱っている人なので、愛の想念を送るのだ。もはや、見たこともない人も多くなってきた笑
または、自分の考えを改める。
8セット、二分毎に繰り返している。もうこれぐらいしてると、家族に気付いて欲しいのだが、通常の人が、そんな8セットを二分毎に、寝て目覚めて、確認なんて、できるわけない。
つまり、何かしらの特別な力に、私の肉体は、動かされているという事に。

特に、最近は悪夢が激しいので、霊で戦う必要があるのだ。この世界と自分の世界の浄化に繋がるのだ。

ただ、お陰さまで、自分の世界の想念体は、とても純粋で、透き通ったので、あとはこの世界の浄化のために、動いているのだ。
霊体の方が、広範囲に影響を及ぼせるのだ。太陽の光と懐中電灯の違いだ。肉体で、影響力を拡げていくのが、普通のスタンスだ。肉体の影響力の広さが、だいたいの人は、その人の格のように、感じている。俺も、昔はそう思っていた。だから、ビジネスで有名になることが、一番影響力を行使できると思っていた。ビジネスで上の人は、何か心を見失っている事に気が付かされた。だから、霊体で、動けるようにするトレーニングをするようにしたのだ。
ただ、肉体では、そこまで全世界にいけないのだ。マザー・テレサさんでさえ、全世界に霊で動いては、いないのだ。
俺の苦しみは、普通の人とは全然違うのだ。レベルが違うのだ。
何か、現象界で、功績を立てなければ、そういう高尚な事をしてないと思っているのだろうか。
予知能力や霊を見せ付けなければ、信じないのであろうか。
私は、ほとほと疲れてしまった。
相手が表現している真意が掴めないということは、自分がまだまだなのだ。
霊格うんぬんというというのは、私も神も言いたくないのだ。それで、何か魂が絶えず、動いてくれるならいいのだが。
人間は、「体の三重性」を、持っているので、ある部分は、全く誰もが同じで、ある部分は、上下があるというものなのだ。

どちらか一方の話をすると、どうも人間は誤解するのだ。やはり、脳は、一部分しか認識しづらいからだろう。
「体の三重性」を、同時間に講義しないと、魂が愛し合えないのだ。
ここに人間が苦しむ原因があったのだ。
四苦八苦の事だ。

分かりやすく例えよう。
ある話題があったとしよう。
トランプさんが、国境の壁を作ろうという動きを見せている。その事を、何人かで、話したとしよう。
Aさん「トランプは、厚かましい人だ」→トランプさんの魂体(精神性)を指して言っている

Bさんの内心は、「Aさんの方が厚かましい、トランプさんぐらいの金持ちになってから言えよ」→これは、Aさんとトランプさんの肉体を指して言っている。その人が、肉体でお金を所有しているかどうかなのだ。つまり、「実は、Aさんは油田王」という情報があれば、ころっと変わるのだ。
Cさんの内心は、「Bさんと、Aさんとの間を、ベストにするには、どうしたらいいだろうか」→霊体を指して話をしている。間をベストにする動きが、霊体的な発想なのだ。

このように、それぞれが、別の体の話をしているのだ。

肉体と魂体には上下があるのだが、霊体は、フラットなのだ。
だから、まだまだ愛が足りないのだという事に気が付かされた。
ただ、肉体と魂体も、究極的には、フラットなのだが、それがわかる人は、皆無なので、ここでは、それは置いておこう。

お年寄りと子供のどちらの方が、肉体が優れているかと言えば、子供というのが、わかりやすいだろう。
魂体も、トランプさんとナイチンゲールの、どちらが精神性(魂体)が高いかと言えば、わかりやすいだろう。
例えば、「どの人も、違って良い、同じくらい価値があるから」、という視点が、霊体の事なのだ。
これが、日常会話が噛み合わない原因なのだ。
ある人は、霊体の視点で、ある人は、魂体の視点で、ある人は、肉体の視点で、認識してるからなのだ。
その上中下を、認識し合いながら、話ができればいいのだが、なかなか難しいところだ。
相手の脳の器が、顕在意識なのか、潜在意識なのか、真相意識なのかに因るのだ。人によっては、肉体次元と言うが、肉体は大事なのだ。
だが、どの人も、脳の認識の器を、顕在意識、潜在意識、真相意識に変化させているのだ。


話は変わって、「エッチなことばかりしていたと、正直に、懺悔するのだ。」→これは、魂体(精神性)を指している
「若い時は仕方ない」と言われたとしよう。→これは、肉体付随の性欲で、肉体を指している。
「その分、家族を気にかけなかった罪は償うよ」→これも魂体を指している。
「みんなで楽しむ家族旅行を作るよ」→これは、霊体を指している。


ところで、お弁当を、ピクニックで用意するのは、やってみると面白いのだ。
テレビゲームばかりしてごめんなさい。おかげで、楽しめました。
京都の舞子さんを見たいものだ。
ホラー映画を見せれば、神仏の怖さがわかるのだろうか、画策している。
神に対して、卑屈になることはないが、傲慢になってはもっといけないのだ。
私は、神を侮る恐ろしさを映画にでも、してみようかなと思ったものだ。
アダルトビデオを見ながら、性欲のコントロールをしてみようと思ったものだ。睡眠の魔に勝つことだ。

□追記
この体の三重性がなかなか自分で、わからなくなってしまった。どうすればいいかなかなかわからなくなった。 状況がわからないと、どうすればいいかわからなくなった。指標がなくなってしまった。また、事態が変わる事を祈りたい。

□追記
気功の達人が、体の4重性(肉体、魂体(または幽体)、霊体、神体)と表現していた。
この達人は、相当無意識マップが進んでいるなと感じた。 どっちが正しいのだろう?

私の専門 最終結論版

の専門は、何か、、、
終結論として、凝縮すると、
①感謝と日常生活の微差②究極の実在への教育
この二点のみなのだ。
ただ、なかなかそんな簡単に伝えられるものではないので、あらゆる手段を用いて、表現しているのだ。
膨大な量をすれば、必ず凝縮する時間をとれば、凝縮できるのだ。
本質世界では、膨張ばかりしていると、凝縮に向かうのだ。
この二点に凝縮するのにも、長年かかった追究があったからなのだ。これも、この世の中の仕組みなのだ。

いつも見守っていただき、ありがとう。トロトロして、ごめんなさい。

纏めようとするのが大切なのだ。誰もが、纏めたいのだ。ただ、なかなかこの二つに合う仕事がないのだ。宗教がかなり近いのだが、どうしても宗教は、ある信仰のブロックがあるのだ。また、範囲も狭くなってしまうのだ。そこが何かと嫌な部分でもあるのだ。これも思い込みなのかもしれないと、常に思うことだ。自分で仕事を創るのだ。
が、なかなか生ぬるいものではない。家族に対してどこまでできるかというのは、鍵なのだ。専門分野というのは、プロに必要なのだ。
①感謝と日常生活の微差②究極の実在への教育
プロとして、これをしっかり進めていこう。

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追記

①感謝と日常生活の微差②究極の実在への教育
この二点のみなのだ。
①の感謝は、勇ましさの方が大事な場面が多い事、確かに感謝は大切だ。
②の究極の実在への教育は、絶対的正義がない事に気付く人を増やすこと。


https://syukatsulabo.jp/obosan/article/336 108煩悩と言われる、概念としては、私達が使ってる魔に近い。

車の運転と魔 お金or純粋意識とエネルギー交換

普通に車の運転にも、魔があるのだ。
まずは、運転を手伝っていただいた方に感謝したい。ありがとう。ごめんなさい。今は、どの駐車場でも、止められない場所はないのだ。ここまでくるのに、3年かかった。やはり、ペーパードライバーから、そこまでくるのは、三年かかるのだった。ごめんね。ありがとう。

さてさて、日常の魔に戻るが、
①「車でここで、切り返すかどうか」という魔もある。
②駐車の際に、色々な人が見ている時に、きっちりやれるかという魔もある。
③駐車場の警備員に見られても、車内で本を読む・瞑想をする魔もある。目に見えない存在を確認するには、静寂な場所が良いのだ。私は、車の運転席が、一番しやすいことに気が付かされた。確認がとりやすいのだ。シートのお陰だろう。

そうは言っても、毎回、勝負どころなのだ。
他の例としては、①しっかり駐車できなかった時に、また素直に失敗を認めて、またやり直すという魔もある。

このような魔に勝ち続けると、運転はうまくなるのだ。

私は、納車初日に、物損を駐車場で起こした笑 これを、言っていい人と悪い人がいるのだ。慣れてくると、そんな危なくないことに気付くのだ。うまくなれば、「昔は、当てたよ」と笑い話にできるからだ。だが、うまくないと笑い話にできないのだ。
わざとなのだ。これで、保険の仕組みと鈑金を、確認できた。
誰でもある一日に、車だけを運転していても、魔があるように設定されているのだ。
私は、仕事を辞めて、この事を確認したかったのだ。
どうも、無職になったことがある人しか、わからないのだ。

確かに、忙しい仕事人生にも魔はあるのだが、それはお金を貰うから、より強い魔が発生しているのだ。

お金には、エネルギーがあるから、その分しっかり働かないといけないのだ。これは、当たり前なのだ
なぜ、イエス・キリストは、「私かお金かをどちらを取るのか」と言ったか、わかった。やはり、どちらもとると、必要なエネルギー交換量がぐぐぐっと上がり、目まぐるしくなり、結局自分を苦しめるのだ。私は、よく何でお金持ちは、悪い人が多いのかと、ブーたれていたのだった。そういうことなのだ。

エネルギー測定器でもあれば、人は信じるのだろうか、、、。私も、初めてのモノは、信じないものだ。それが、、理性なのだ。探してみるのも良いだろうが、また時間を使ってしまう。結局、人は、自分が悟った部分しか、相手がどんなに研究した事を話しても、通じ合えないのだ。

仕事は、前向きに取り組むのに限るのだ。私は、仕事大好き人間なので、仕事をしている時が、一番充実しているのだ。
逆に、試練として、仕事をしない世界を確認しているのだ。
この事は、なかなかわかってもらえない。甘えているように見られる。正直甘えている時も多いからだ。甘えなければ良いのだ。が、かなりきついのだ。

一日の魔の調整について、私は、魔の研究をしているから、その事が、わかるのだ。「体感してみたら、わかるよ」としか、言えないのだ。
仕事をしていればいいという訳ではない視点も手に入れればいいのだ。ただ、私は仕事をしないのは、飽きたのだった。働くのだった。

霊体として、人は、誰でも何かを循環させているのだ。それは、どの人も純粋フラットなのだ。

肉体には、循環の活動量が、まるっきり違うように見えるのだ。子供とお年寄りの違いのようにだ。
だから、肉体は使うのに限るのだ。
要は、世間様は、何事につけても勉強不足なので、お釈迦様ではないので、やっているフリをする必要があるのだ。が、自分もドングリの背比べなのだ。

ただ、どうしても、人は自分の脳内の価値観に踊らされているのだ。その事に気付く人が増えてほしいのだ。

私は、今、世界中を旅したいのだ。だが、これも魔なのかもしれない。冷静な判別が必要なのだ。
よくよく考えれば、私ほど、奇想天外で、大自由な心を持っている人が、わざわざ、お金を払って、世界の現地体験をしても、いいのかと思う。
ここは、あまり解けていない。行ってないからだろう。胴着でも来て、歩いてみようか。カンボジアにでも、ボランティアに行こうか。

新しい発見は、あるだろう。悟っている人は、そんなに行動範囲を拡げないのかもしれない。
人間の構造は、変わらないからだ。
が、思い込みは外すに限るのだ。アルジェリアにでも、旅立つのもいいだろう。

顕在意識の良さと悪さ

顕在意識が強まると、飯が旨くなるのだ。
肉体次元の話として、貪って、がっつくと、美味しくなるのだ。
だから、貪る人は、食欲が強くなるのだ。食欲が強くなると、肉体の話として、飯が旨くなるのだ。食欲が弱くなると、魂体が活性化するのだ。

イエス・キリストの話として、「パンと神からのみことば、どちらが大事か」というと、その人次第だが、私は、みことぱを選びたい。

結論としては、潜在意識と顕在意識の往復動作を増やしていくことなのだ。

ただ、これは結構疲れるのだ。神経と体を使うのだ。食欲と頭だけを見分けるのだ。今噛んで良いか、止めた方がいいかを、徹底的に叩き込むのだ。往復動作を増やしていくことなのだ。

キリスト教学校教育Online Newspaper
http://www.k-doumei.or.jp/np/2002_11/04_02.htm

キリスト教学校教育Online Newspaper

やはり、これも、「顕在意識と潜在意識の往復をしなさい」ということなのだ。
悟ると、ただこの一言に、全てが内包しているのだ。わからない人は、まだ悟ってないのだと思っていただきたいのだ。

顕在意識でも、パンを食べて、潜在意識でも、パンを食べなさいということなのだ。一度心に聞くことなのだ。この調整がとても大切なのだ。

プレゼント学 最終結論版

プレゼントを、誰かにあげる際に、どのようなもの選ぶかというのは、色々ある。
私も、様々なプレゼント攻撃をよくしたものだ。
ただ、貰ったものは処理に困る。
手作りのモノだと、余計に困ってしまう。

ということは、
渡す際に「あげたものは、全部捨てて良いから」「誰かにあげてもいいから」と伝えるのだ。これが、究極のあげる側のプレゼント学なのだ。

これは、カルマを作らないのだ。物の管理をしっかりしないと、負のエネルギーが放出されるのは、以前にも書いた。
だから、貰ったもので、使わないものは、捨てるか、あげるか、使うか、どこかしらに循環させなければならないのだ。しなければならないという言葉は、あまり使いたくないが、結局その人のためにならない場合は、しなければならないという語感を使うようにしたい。

貰う方としては、基本的に、モノにも因るが、敬意をもって、捨てるに限るのだ。本人に返すのもいいが、関係によるだろう。

いつまでも、同じものを置いていると、循環にならないからだ。
だから、熊手等は、神社にお返しするのだ。「熊手返すの忘れたと周囲に伝えるのは良いことなのだ。少しバカみたい魔があるが、それはそれでいいのだ。
どの人もこの人には、これを言いたくないという魔がある。
結構負けているのに、私は気付くのだった。まあ言わないのだが笑

必要なものだけ、視覚に入れれば良いのだ。が、公共の場に関しては、皆で決めるものだ。

プレゼントも、悟りのためにある。また、人間関係の構築にあるのだ。


バレンタインのチョコも、うまく色々回すのだ。バレンタインのチョコは、一口食べる。そして、本人や友達に渡すようにする。そうすると、分け合えば、余るのだ。全部食べないといけないという思い込みを解除し、誰かに渡してはいけないという思い込みを解除し、食い意地を張らないという魔に勝ち、失礼をなくすという魔にも勝つ。そうすると、うまくいくのだ。
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